2007/12/10 (Mon)

 [ EQUAL ] 「EquaL // PhantoM」問題編第1話


【 EquaL // PhantoM 】




 ヒナゲシ(雛罌粟、ひなげし、学名 Papaver rhoeas)は、ケシ科の一年草であり、虞美人草、ポピーとも言う。

 秦末の武将・項羽には虞と言う愛人がいた。項羽が劉邦に敗れて垓下に追い詰められた時に、死を覚悟した項羽が詠った垓下の歌に合わせて舞った後、自刃した。彼女を葬った墓に翌夏赤くこの花が咲いたと言う伝説から、こう呼ばれる。(後略)

   ──Wikipedia解説より


 どうせ引き裂かれるなら、

 身を引き裂かされる方がはるかにマシだと思った。

   ──竜騎士07

      『ひぐらしのなく頃に』より



【序幕】

                            ……平成三年四月七日

 真っ赤に、咲いていた。


「『天国と地獄』だ」

 誰かが呟いた。そうかも知れない。色の判別も出来ないくらい深い霧の中で、パトカーのランプが赤く、パートカラーのように輝いている。その違和感が、余計にこの場を幻想的な雰囲気に満たしていた。 

 天国と地獄。それは黒澤明の映画タイトルではあるが、同時にこの光景を示すのに最も適した言葉でもあった。

 幻想的な霧の中に浮かぶ死体。

 一本のナイロンロープが、彼女の死体をつり下げる。

 死がいかに幻想的で、現実的であるかを物語るその光景は、足元に真っ赤に咲いたひなげしの花をたたえて、この世のものとは思えない生々しさを醸し出していた。

 ここにはまだ、生きているのは警察の人間しかいない。

 不思議なモノだな、と赤羽刑事はまるで呪文のように唱えた。

 この光景を信じることが、どうして出来よう。幻想に彩られた、この世とは思えない姿。酔いつぶれて、押しつぶされてしまいそうな重厚とした雰囲気に、誰もその場を動けないでいる。

 それはまるで一枚の切り取った絵のように。その肢体は風に流されるまま、ギシギシと揺れ動いていた。


 血の臭いは一切しないのに、錆び付いた臭いが鼻の辺りをつんと刺す。

 虫の鳴き声は聞こえないのに、虫の知らせが胸を突く。

 喜びの歌を、もう一度聞きたかった。

 優しい香りを、もう一度感じたかった。

 キスの味を、もう一度味わいたかった。


 ……君の笑顔を、もう一度見たかった。


 サヨナラの声は聞こえない。

 あの笑いは、もう見られない。

 ならば……僕はどうすればいい?

 何かしたい。

 何も出来ない。

 花束すら供えられない……哀しい人間(ひと)。


 僕はあのとき、君に殉じるべきだった。

 それなのに、何も出来なかった。

 悔しさだけが、胸にこみ上げる。


 それならば、今何が出来る?

 そう考えながら……十五年経ってしまった。


            ※


                            ……平成十八年五月三日


 世間一般的には、今日は休日に指定されているらしい。五月三日、憲法記念日、国民の祝日。ゴールデンウイーク。しかし、この村にはそんな休みのさなか、どこかへ出かけようと言う人はいない。むしろその逆で、この村には少なくない観光客がやってくる。

 彼らの目当ては、この野原一面に咲いたひなげしの花。虞美人草とも呼ばれ、五月頃に色とりどりの花をつける。花言葉は……「慰め」。

 僕はその中をかき分け、野原の傍らにたたずむ大きな屋敷に入った。

 数年前に建てられたばかりのその家は、人が住んでいるにもかかわらず、生活感を一切感じさせない作りになっていた。

 僕は勢いをつけて、ドアを開く。鍵はかかっていない。

 優しかったあの姿を、再び……再び、求めていた。


            ※


 全ての物語には終わりがある。

 しかし、時間は永遠だ。

 物語は終わっても、彼らの世界は終わらない。

 ──それならば、もう少し語ってみてもいいのではないだろうか。


 若林アリス。旧姓芹沢。

 彼女が再び、真実の扉を開ける時が来た。

 さぁ、演算を始めよう。

 全ての問を、解に導くまで。



    EquaL // PhantoM ひなげしのさく頃に

            - Why They Cry....? -








    【首括り編】


  1.

                    ……平成十八年五月三日 午前七時二十六分

「ハイ、津島です」
「え、日光不動産じゃないんですか?」
「それ局番違います。俺は三四五二、向こうは三四二五」
「すみませーん……」
 ガチャン。
 朝早くから起こされたかと思ったら、いきなりこんな電話で脱力感が募る。世間はゴールデンウイーク初日。昨日は院生同士の新歓コンパ(花見のあとにやるのが謎だが、まぁ要は飲みたいだけなのだろう)のおかげで頭痛はする目眩はするばっちり二日酔い。
 しかし、五、六年とこの街に住んでいると、いい加減この類の間違いにも慣れた。あまりにもこの会社でかけてくる間違いが多いので、思わずネット検索で間違い先の電話番号が何番になっているかを調べたぐらいだ。おかげで今のようなセリフがすらすら言えるようにはなったが。あまり身につけたいスキルではない。
 いきなりの迷惑電話を撃退すると、俺は布団を思いっきり被る。せっかくの祝日だというのに、寝かせやがれこん畜生。そうでなくても、今日は昼から予定があるのだ。一日寝て等いられないが、それでも朝六時からベルを鳴らされたら寝覚めも悪くなる。
 春眠暁を覚えず。良い言葉だ。良い言葉だが、俺はもう眠気が全て吹き飛んでいた。
「ああ、もう眠れねぇ」
 勢いをつけて、布団から飛び起きる。家にテレビはないから、朝食を作るのみ。目玉焼きに、飯に、ワカメとナメコの味噌汁をさっと作って、醤油をつけていただく。ちなみに俺は目玉焼きに醤油派だ。
 フライパンに卵を落とし、蓋をして蒸し焼きしている間にワカメとナメコを沸騰したお湯の中におもむろに入れ、ダシ入り味噌を溶かし混ぜる。大体その一連の動作が終わった辺りにフライパンの蓋を取ると、丁度よく出来上がっている寸法だ。
 さて。一通り食い終えて、携帯を開く。
 ──本日の予定、多摩。
 何ともアバウト。自分がこんな入力をするはずもないのだが、その予定を勝手に決定した人間がこういう言い方しかしなかったのだから仕方がない。
 そもそも、多摩ったって多摩市なのか奥多摩なのか全く予想が付かないしその意味ではとっても不親切だ。
 俺は、メールの送り主に電話をかけた。
「で、だ。俺は何時にどこに行けばいい?」
「決まってんじゃない、多摩まで新幹線乗ってくのよ」
「姉貴、俺の言ってるのはな。多摩のどこまで行くかっつー事なの。それに多摩は都内だ。新幹線通ってない」
「…………あ」
「まさか知らなかったとか言わんよな?」
「ちょ、そ、そんなわけないでしょー……あはははは」
 渇いた笑いが聞こえる。図星だな、こりゃ。三十路も近いというのにこんな感じでは、先が思いやられる。
「何か言った?」
「言ってません」
 姉貴は一言二言悪態を付くと、
「あ、みんなもう揃ってるから。あんただけ」……と、衝撃の事実を言ってのけた。
「おーれーだけ?」
「そ。あんただけ」
 俺はおもむろに電話を切ると、大急ぎで準備を始めた。なんだそれ。……と思い直して、姉貴に再び電話をする。
「……勇喜。で、何よ」
「だから集合場所を教えやがれ」

            *

 慌てて準備をして、一時間後に俺は東京駅南口の東京バナナの店の前にいた。何でそんなマニアックな場所を指定してくるのだろう、とも思ったが、成程、俺の性格をよく分かっているとも言える。
 とりあえず八個入りで千円もしないので、一つ食べながらゆっくりと時間を待つ。確か姉貴──氷室美加の嫁いだ氷室家は神奈川か埼玉の方だったから、多摩とは決して近いわけではない。しかし、俺が姉貴に呼ばれると言うことは、氷室家がらみの可能性は決して無くはないのだ(とはいえ、今姉貴とその旦那……俺の義理の兄貴は都内に住んでいると思ったんだけど)。
 しばらくすると、その義兄が俺の元にやってきた。相変わらずうだつが上がらない格好をしているが、それでも氷室という、それなりの旧家の旦那様なのだから人は見かけによらない。
「お、勇喜君、おひさ」
「その君付け、そろそろ止めてもらえませんか。何か恥ずかしくて」
 あはは、と苦笑いをすると、義兄──氷室真二は、
「慣れてしまったからね、仕方ない」
 仕方ないなら努力して下さい、と言い返そうとも思ったが皮肉になるので止めておいた。この人に皮肉は通じない。
「で、皆さんおそろいのようで」
「うん、ちょっとあの娘がどうしても浅草に寄りたい、って言ってね。少し遅れた。ま、僕らもお土産買っていきたかったからね」
 ……あの娘?
「あれ、確か君に懐いてたと思ったんだけど。違ったっけ?」
「……あ」
 その瞬間に、その娘が浅草に寄りたがった理由が分かった。俺たちのアパートと彼女の家は近いとは言え、浅草からは同様にちょっと遠い距離にある。
 そして……浅草には何よりも彼女の大好物がある。
 真二兄に導かれるままに俺は姉貴のポルシェに向かう。五人乗りの広々スペース。その後部座席のドアがガルウイング状に開くと、やはり彼女の姿があった。
「遅(おひょ)いですよ、津嶋(ふひま)さん」
 彼女は浅草名物・激辛辛子せんべいを口にくわえ、俺の方をまっすぐに見つめる。齢十五才、高校に入ったばかり。あどけなさが残るその瞳は、あの微笑みをにこやかにたたえながら、再開の喜びと言うよりは好物の味わいに潤んでいた。
「で、アリスちゃん」
「……ふぁい」
「人に話しかける時はまずそのせんべいを離しなさい」


  2.

 若林アリス。
 俺が、隣で四枚目の唐辛子せんべいに手を伸ばした少女に出会ったのは、今から五年ぐらい前になるだろうか。姉貴の結婚式(といっても、本当に身内だけでやる超ジミ婚だったが)で俺の親戚、と紹介されたのが始まりで、もちろん血は繋がっていない。だからといって、真二兄貴とも血縁関係にはないのだが……ややこしいのでこの辺は後述することにする。
 六歳までイギリスのオックスフォードで過ごした彼女は、とある事情で天涯孤独となりかけてしまい、ツテを頼って日本に来た……わけだが。
 とりわけ、この少女は頭(と味覚)がおかしい。おかしい、と言ってもどちらかというと良い方向におかしいのであり、それは多分オックスフォード時代の教育の賜物なんだろう、と俺や周りの人間は理解している。そうでなければ、IQテストの結果が〝測定不能〟とか出るわけはない。ちなみに十歳当時の知能年齢は四十歳前後──推定IQ四〇〇、ということになる。この数字だけで、いかに彼女がおかしいか判別出来るだろうか。
 そのIQのせいか、それとも彼女が天然のトラブル引受人なのか、やたら彼女の回りでは事件が起こる……そして、彼女もまた、天然の〝名探偵〟であることは、この物語を語る上で附記しておかねばならないだろう。
 まぁ、当の本人は、そんなことも意に介さず、五枚目のせんべいに手を伸ばしているわけだけれど。
「津嶋さんも食べます?」
「それだけは親父の遺言で食べるなと言われてるんだ」
「いやいや津嶋さん、お父さんの遺言聞いてないじゃないですか」
「そこで真面目に答えないで欲しいんだがな」
 この辺の事情も長くなるので割愛。
「じゃあ食べて下さいよ」
「そんなのを五枚食えるのはあなただけです」
「こいつねー、小学校の都内探検で浅草寄った時にチャレンジしてねー。唇真っ赤にして泣きながら帰ってきてんの」
「何をおっしゃいますやら美加さん。私は別にそんなことはしておりませんぞ」
「証拠のテープがこんな所にあるんだけど」
「んなわけあるかぁっ!」
 俺は思わず運転席の姉貴を後ろから蹴る仕草をした。仕草で終わらせておかないと後でどんなことになるか知れない。君子危うきに近寄らず。まぁ、姉貴の言ったことは事実だけれど。
「姉貴、ひとつ聞きたい」
「ん? なにさ」
「どうして俺ら五人で、奥多摩くんだりまで行かなきゃいけないんだ? また氷室の絡み?」
「当たらずとも遠からず、かな」真二兄は答えに詰まってしまった姉貴のあとを繋ぐ。……いや、そもそも氷室の絡みだとしても俺やアリスちゃんが巻き込まれる必然性がない。誘われる理由がないではないか。俺は全く納得が行っていなかった。
「何かヤな予感がするんだよね。俺とアリスちゃんが行動すると、どーもロクな事がない」
「それはアリスちゃんに失礼だろ、勇喜君」
「まぁ、たしかにそーだけどさー……だって去年の夏にお盆ついでに海岸言ったら、変な騒動に巻き込まれた記憶があるんだけど。何だったっけアレは」
「一夜にしてゴミが消えたんでしたよね?」アリスちゃんが補足する。
「ん。確かそんな感じだった気がする。ゴミだらけの海岸が、翌朝きれーさっぱりになってんの。人の気配もしなかったはずなのに、なぜか?……ってヤツだったかなぁ」
「でも、あれはあれで微笑ましい出来事でしたよね」
「世の中のトラブルが全部そんな感じだったら苦労はしないんだがなぁ」
 とは言っても、解決が常に心地いいとは限らないからトラブルなわけで、そんなことは絵空事だなんてのは誰でも分かる。もし苦労を知らないというのなら、そいつは単に他人に迷惑をかけている事に気付いてないだけだろう。
「まぁ、氷室の絡みと言うより、僕らの知り合いなだけなんだけど」
「…………僕……ら?」
 ら、って真二兄とあと誰さ。そう思いながらふと視線を上げると、姉貴の顔がみるみるうちに、にへら、と緩んでくる。答えたそうな姉貴と答えにくそうな真二兄とを交互に見つめる俺に、アリスちゃんが助け船を出した。
「何でも、お二人が付き合うきっかけになった人だそうですよ」
「マジで?」
「マジで」
 そう言うと、アリスちゃんはにっこり、と笑った。


  3.

「ゆーちゃ、ごめん遅くなった。あと十分ぐらいで着くと思うからちょっと待ってて」
 姉貴といえども、さすがに警察官の目の前で携帯をかける事は出来ない。携帯に繋がれたイヤホンマイクのフックボタンを押して、姉貴は一息ついた。
「……とは言ってみたけど……本当に十分で着くのかな」
 溜息の理由は眼前を見れば分かる。続く限りの山道は、もしかすると侵入者を拒否しているんじゃないかと思わせるほどの茂みにおおわれている。むせ返るほどの緑……と言うよりは、単に半分ぐらい荒れ果てているような雰囲気だ。俺はちょっと後悔する。
「道間違えてないよな?」
「そんなことないって。本当に一本道だって言ってたし、たとえケモノ道との分かれ目に当たったところで、大体の判断はつくでしょ」
 言葉は楽観的だが、表情が妙にこわばっている。これは油断出来ねぇな……とは思ったが、意外にも車は順調に、周りの枝に撫で回されながら進んでいく。まるで俺たちを招き入れるかのように、わさわさと道は開けていった。だが、それは決して通行の難易度が低い事を意味しないない。むしろ難攻不落の要塞を攻め落としている気分にならないでもない。
 緑が生い茂る……まさに文字通りの姿はそう簡単に見られるものではない。例えここが都内で、東京都には二十三区以外の場所も多々存在すると知っているとしても……だ。需要と拒絶が同時に存在する光景。この木々のくぐり抜けのやり方は、一瞬俺にそんな幻想を抱かせる。
 次の分かれ道にさしかかった瞬間、アリスちゃんが呟いた。
「あ、アレではないでしょうか」
 その指先を辿っていくと、確かにこの景色には似つかわしくない、少し豪勢な洋館が建っている。建築にはあまり詳しくないのだが、何というか、白煉瓦に周りを覆われた外壁は、昼の照りつける太陽に晒されて、眩しい光を辺りに発していた。
「うん、間違いない」真二兄が相づちを打つ。「よかった、無事着いて」
「姉貴の方向音痴は今に始まった事じゃないし」
「なんか言った?」
「べーつーにー」と、俺は知らんぷり。
「あのな、お前ら」アリスちゃんの養父──当の警察官である若林豊久刑事は、二箱目のホープの封を切って、呟いた。「いい加減そろそろ狭いから、早くして欲しいんだがな」
 ……別に俺も、好きでギュウギュウ詰めになっている訳じゃない。溜息をもう一度深呼吸のように吐き出し、俺は目の前に近づいてくる白い屋敷を見つめる。それはまるで異次元の入口であるかのように、その周囲に広がる寒村とは趣を異にしていた。
「ゆーちゃ……ってのが……その、キューピッドみたいな人?」当然、俺はその人を知らない。
「そ、河村有沙(かわむら・ゆさ)。……あれ、あんた会った事無かったっけ?」
「ねーよそんなこと」
「いや、会わせた事あるような気がするんだよなぁ」
「もしかして、あの事件のコトじゃないか? 美加を心配してメールしたアレ」補足説明・氷室真二。
「あーあーあー。なるほど、思い出した思い出した。ゆーちゃが勇喜の名前騙ってメール出したアレか」
 ……なんともハタ迷惑なキューピッドだこと。
「とまぁ、彼女の頼みなら、ね。僕も美加も断れないというわけ」
「うん、確かに。そのコトは認めましょう。……で」俺は溜息をついた。「なんで俺たちが行く必要があるわけ。エレガントな回答を四百文字以内で答えよ」
「『暇そうだったから』。以上、証明終了」八文字。姉貴の回答はいたって明瞭簡潔だった。簡潔すぎて意味が分からないけど。
「暇だなんだ、でアリスちゃんを連れて行く必要はないだろ? ましてや俺なんて」
「あ、勇喜が行かないんなら行かない、って言ったのこの子だから」
 その『この子』は十二枚目の唐辛子せんべいに手を伸ばしていた。だから食い過ぎだって。
 一方で、俺は察していた。アリスちゃんが俺を呼ぶという事は、そう簡単に物事が進まないであろう事を意味している。それはまさしく、数式の中に仕組まれた感情を把握するかの様だ。さりげなく感じる不安。こういう一抹の不安というものはよく当たる──しかも、いやな意味で。
 その白い屋敷に近づいていくと、大きな門がある。門、といっても城郭ほど大きいわけではない、別に閉ざされているわけではないので、どちらかというと迷路の入口、というイメージに近い。
 その門を通りすぎた瞬間、俺たちの息が一瞬だけ、止まった。
「……きれいですね」
 アリスちゃんが代表して感想を述べる。一面に咲き誇った赤い花。凛として立つその姿は集団となり、一方でそれぞれの個を主張するかのように、風の中を泳いでいる。
「ひなげし……か」姉貴がぽつりと、その花の名前を口にする。
「ひなげし?」
「ポピーとか、虞美人草とも言います。毎年この時期に綺麗な花を咲かせるんですよ」アリスちゃんはその美しい光景に見とれながら、姉貴の言葉を繋いだ。
 ふと、顔を上げる。ひなげしに囲まれた白い屋敷の窓が大きく開かれ、中から少女が大きく腕を振る。ひなげしと屋敷の中間色とも言うべきピンクのドレスに身を包み、その姿はまるで十代後半のお姫様のようだ。
「あ、ゆーちゃだ」
 そうか、あの人が河村有沙……え?
「姉貴、質問。あの人、いくつ?」
「あたしと同じだけど?」
 一瞬、絶句。若林刑事は外れ掛けたアゴを押さえ、俺は頭を抱えた。



  4.

「み~か~ちゃ~」
「ゆ~~ちゃ~~~」
 お互いの名前を呼び合うと、二人はがっしりと抱き合った。久しぶりの邂逅に喜ぶ二人……といえば聞こえがいいが、俺にはこりん星人の同胞発見のようにも見える。見ているこっちとしては、なんだか気が気でもない。
 俺は半開きの口元をかろうじて上向きにしながら、二十代後半のキモイ……微笑ましい再会を見守っていた。さぞや呆れてるんじゃないか、と思ってふと横目にアリスちゃんを見ると。
 ……感動している。
「なんでしょうかその目は」
「いや別にいいんだけどさ」
 俺の反応を不満に思うアリスちゃんの言葉に、なんだかこっちの方が場違いに思えてきた。

            *

「そうか~、君が勇喜くんかー」
「……ども」他人の名前をかたるような人に、こっちもそう簡単に警戒心は解けない。「失礼ですが、河村さんと姉貴はどこで?」
「んーとね、みかちゃがでっかいカワサキのバイクに乗ってたから、気になって声を掛けてみたの」
「まー昔の話だけどね」
 姉貴は河村を愛玩動物のようにずっと撫で回しながら補足する。これ以上は詮索しない方がいいかも知れない。
「で」小一時間は頭の上を旋回していた手がピタリと止まった。「ゆーちゃ、あたし達を連れてきて何をさせようっての?」
「……え、姉貴も聞いてないの?」
「聞いてないわよ! この人、『私のうちが大変なの、すぐ来て~』としか言わないんだもの」
「そんな事言ってないよー」河村が必死で否定する。確かに、「大変なの」だけでは俺やアリスちゃん、そして現職刑事を呼び立てる必然性はない。その感覚は、アリスちゃんも察していたようだ。静かに挙手して、質問の弓を引いた。
「美加さん、ちょっとよろしいでしょうか?」
「ゆーちゃ、この子だーれ?」引いた瞬間、矢は思いもがけない方向に飛んでいく。
「真二の方の親戚で、若林……でいいよね?」アリスちゃんは首肯する。「若林アリス。ほら、昔真二が『こういうのに強いのがいる』って言った事あったじゃない」
「そういえばそんな話もしてたねー」
「それが彼女よ。もうあたしみたいな高校半分ドロップアウト組には逆立ちしても追いつかない」というか、追いつくような人がいたらそれはそれで凄い事に。
「そっか! なら心配ないね!」
 河村は本当に、心から満面の笑みを浮かべた。
「あのう……話が進まないんですが」アリスちゃんが困惑の表情を浮かべると、すかさず河村が「か~わ~い~い~!」と叫んでさらに話が進まない。
「なんか、俺が聞いた方が早そうだな」若林刑事はようやくホープを口元から離し、アリスちゃんの話を継いだ。「脅迫状が来たんだって?」
「いや、脅迫状じゃないんだけど……」
 そう呟くと、彼女は手元から一枚の真っ白な洋封筒を取り出す。何かを察したのだろう、若林刑事が手袋をはめて、中をのぞき見る。「他には何も入ってなかったんですね?」河村はこくりと頷いた。
 若林は静かに封筒から手紙を取り出し、そして開く。白い罫線と共にひなげしのワンポイントが描かれた便せんの中に、たった一行だけ。

【 十五年後の今日、ここで会いましょう  ──  芹沢 春香 】

 芹沢──……!?
 一瞬、その場にいた面々の表情が凍った。河村の表情もまた凍ってはいるが、おそらくは違う意味で。
 芹沢といえば、アリスちゃんが三年前まで名乗っていた姓だ。自らの母親が殺害された事件。その決着を契機に、彼女は正式に若林豊久の養女になった。それほどまでに特別な意味を持つ名前。
 だが、河村の顔色が変わる理由までは俺には分からない。
「河村さん、この名前に心当たりが?」
「そんなわけない」
「え?」俺の問いかけに彼女は一心不乱に答える。
「そんなわけない!──春香ちゃん、十五年前に死んでるんだよ!?」


  5.

 死者からの手紙──。
 その答えに、俺たちは凍り付かざるをえなかった。それが悪戯だと分かっているならなおさらである。通常に考えて、死者から手紙が来るわけがない。もしそれが本当に死者から送られたものなら、それは立派なホラーだ。
「詳しく、聞かせていただいてもよろしいでしょうか?」
 沈黙を破り、アリスちゃんが問いかける。彼女の問いかけに、河村は静かに、重い口を開いた。
「天国と地獄……そう言ってた」
 そう言っていたという『主語』は誰なのだろう。俺はそんな感情を胸に抱きながら、しばし彼女の言葉に耳を傾けた。

            *

 十五年前……姉貴と河村が出会ってから八年ぐらい経つと言うから、それよりも結構前……ということになるのだろう。河村の同級生が首を吊って死んだ。理由は一切不明。いじめがあったとか無かったとか、そう言う噂も流れたが時間が経つに連れて風化していった。
 死んだ同級生の名は……芹沢春香。
 警察では自殺だと判断され、事件性もないという事で捜査もそこそこに本部は解散となった。特に他意があったわけではないと思う。河村はその口調に似合わず要点を明確に、かつ簡潔に述べた。
 たったそれだけの話。しかし……そうでない、と判断する者がいたからこそ、彼女の元に手紙が来たのだろう。それは、当の河村自身が強く感じているようだった。

「単刀直入に伺いますが、この手紙を出した人物に心当たりは?」
 アリスちゃんは本当に真正面から切り込む。
「うーん、思い当たらないなー」唇に指を当て、考え込む仕草をした。
「では質問を変えましょう。河村さん……あなたは、芹沢さんの死に関係がありますか?」
「ちょ、それは直球過ぎ……」俺は思わず制止する。この子は笑顔のまま結構どぎつい事を言うので油断がならない。
 河村は一瞬表情を曇らせたが、表情をすぐに元に戻して、眉間に少しだけ皺を寄せて、考え直した。
「ない事はないと思うけど……一応クラスメイトでもあったしね。でも、積極的に関わっていたって事はないかな」
 まぁ、俺らはその言葉を信じるしかないんだけど。河村はそこまで喋り終えると、「今お茶入れるね」とこの場を立ち去った。
「アリスちゃんはどう思う?」
「まぁ、まだ仮説の段階でしかないんですけれど……どうも嘘をついているようには見えないんですよね」
「といいますと」
「これが河村さんだけに届いたのでしたら、おそらく脅迫状である事以外の何者でもないでしょう。その場合は警察に届け出て、しかるべき処理をされる事をお薦めいたします。……ですが問題は」
 途中で話を遮るかのように、呼び出しのチャイムが大きく、ゴオン、と鳴った。
「この手紙が、河村さんだけに届いていなかった場合の話です」

 チャイムと共に、人が五人ばかり集まってくる。
「ったく、こんな忙しい時期に」
「えー、レンジさぁ、彼女に振られて、このゴールデンウイークは暇だー、みたいな話してなかったっけ?」
「してねーよ、勝手に詮索すんな」
「まぁ、落ち着いて。せっかく十年ぶりぐらいにこうして再会する事も出来たんだし」
「だからといって、わざわざこんな山奥でやる事無いだろうが」
 金色の髪に黒のエクステをくっつけたレンジと呼ばれた男は、頭をガシガシと掻きむしりながら周りの男二人になだめ付けられている。
「あれ、なんだ、先客がいたのね」
 真っ先に気付いたのは隣の隣にいた女性の方だった。
「こんちーす……」
 とりあえず曖昧な返事をしてみる。
「あ? なんだお前ら」
 それはこっちのセリフだ、という言葉を抑えて、
「津嶋勇喜です。左は俺の姉貴夫婦と、親戚の若林親子」
 それぞれが思い思いに軽く会釈をする。レンジはますます怪訝な顔をしつつ、憮然としながらも「三枝蓮次(さえぐさ・れんじ)」とだけ呟いた。
「僕、渚浩太郎(なぎさ・こうたろう)」ちょっかいを出していた若干小太りで、灰色のポロシャツを着た男が答える。
「なら、私は庄野早希(しょうの・さき)ね、よろしく」
「あれ、庄野って今女優目指してるんだっけ?」
 渚の問いかけに、庄野が憮然として答える。
「目指してるんじゃなくて、もうなったの!」
「それじゃ、おめでとうと言わなきゃね」
 庄野じゃない方の女性が答える。庄野はスレンダーな白いブラウスというか……女性の衣服にはあまり詳しくないのだが、彼女の細身が映えるような衣服を着ており、その選択は間違ってないな、と思わず見つめてしてしまう。
 一方のお祝いを伝えた女は黒のカーディガンにすらっと伸びたデニムを着込んでおり、これはこれで大人の色気を感じさせる。こういう服はもしかしたら姉貴でも似合うかも知れない。
「でもVシネの出演って聞いたぜ?」
「まぁ、まだ役名はもらってないけどね」
 渚がさらに突っかかってくるので、庄野はそれに答えてから、一枚のDVDケースを取り出す。
「Vシネってなんですか?」
 アリスちゃんの質問に、庄野は丁寧に答えた。
「Vシネマ……要はビデオ映画ね。ちょっとしたホラー物なんだけど」
「何役で出てるんだよー」
「あんまり大きな声で言いたくないのよね、恥ずかしいから」
「ここまで来て恥ずかしいもあるか」
「でもその時の衣装は気に入っててね……端役だから自前なんだけど」
「では、それはその時の衣装ですか?」
「そうそう。お気に入りの一枚よ」
 渚と庄野の会話にアリスちゃんが加わっていたが、もう一方の女性はアリスちゃんの顔を見つめて、少し首をかしげてから、ポン、と手を叩いた。
「思い出した!」
「……え?」
「五年前、たしか十歳の子の論文って事で、結構興味本位だけで読んでた事があったんだけどねー。その時の顔写真で見た事があるような気がするんだけど」
「はい、確かにそのころは寄稿とかもしていましたね──あ、改めまして私、若林アリスと申します」
「アリス! なんだか本当に不思議な名前だったから、よく覚えてる!」
「名前を不思議といわれたのは初めてですねぇ」
「ごめんなさいね、自己紹介が遅れちゃって……私は鵜飼由美(うかい・ゆみ)。当時も今もプログラマやってるわ」
「鵜飼は昔からパソオタだったからなぁ」
「ただのオタに言われたくないんだけど」
 どうやら、渚は全員にちょっかいを掛けて全員にうざがられているらしい。
 その他、男が一人。
「俺は、伊月俊介(いづき・しゅんすけ)。よろしく」なんとも素っ気ない。もしかしたら印象の薄さでは先に無視されていくんじゃないかなぁ、と言う別の意味の心配でいっぱいだ。
「あれ、あいつは? 遅れてくるのか?」
「あいつ?」と返したレンジ……三枝に渚が畳みかける。「樋下だよ、樋下。なんにも連絡がないけど」
「ヤツなら遅れてくるってよ」と、伊月。
 俺は気になって仕方がない質問を、彼らに投げかけた。
「で、皆さんはどうしてここへ?」
「決まってるじゃないか」
 ──異口同音に。
「河村に呼ばれたんだよ」
「……え?」その場に現れたのは、当の河村だった。「なんで? なんで私が呼んだ事になってるの?」
「違う……のか?」河村の当惑した表情を見つめて、静かに伊月が呟いた。
 困惑の表情を浮かべたのは河村だけではない。その場にいた全ての者が、自分ではない、と顔に表しながら、お互いを見つめる。河村のドレスが窓から迷い込んだ凪に煽られ、再会を喜び合う歓喜の顔が、一転して疑惑に変わった。
「本当に……そうなの、有沙?」庄野が改めて河村を見つめ、頷くのを待って。「いたずら、ね。それしか考えられない」
「少々気になる事があるのですが──いたずらだとしたら、皆さんはなぜここに?」
 アリスちゃんは、おもむろに口を開いた。
「誰かが河村さんの名前をかたっているとしたら、この場所に来なければ良いだけの話です。それでも、皆さんがここに集った理由を伺わなければなりません」
 なるほど。確かに、いくら呼び出されて懐かしいからと言って、この場所に来る必然性は全くない。もちろん、変な脅迫状で助けを求められた俺たちも同じだが。
 彼女の問いには誰も答えない。それとも、答えられないのか。アリスちゃんは静かに言葉を続ける。
「それでは言葉を変えます。では、なぜ招待状は発行され、河村さんだけには全く別の文言が届いたのでしょうか? 私は二つの可能性を提示します──一つは芹沢さんの死に河村さんが深く関わっている可能性」
「え、でも……――」
「そして、もう一つは」
 河村の困惑は遮られ、一つの結論が導かれる。
「──この屋敷に人を集める事が、『差出人にとって都合がいい可能性』です」
 言い終わった瞬間。柱時計の鐘が、大きく、二回にわたり時を告げた。あたかもそれは、何か不穏な出来事の幕開けであるかのように。


  6.

                      ……平成十八年五月三日 午後二時三分

「『お茶の用意が出来ましたので』」
 数分の沈黙を破り、きゅるきゅると音を立てて台車が引き入れられていく。……今、なんかハモらなかったか? と思って扉を見ると、ちょうど紅茶を載せた台と線対称になるように、細長い顔立ちをしたメイド姿の少女が二人、姿勢良く立っていた。髪型は軽いウェーブ、大きな違いと言えば、前髪を左右どちらの方向に主にかき分けているか……ということだろう。向かって左側の、左分けの少女が口を開く。
「こちらで皆様のお手伝いをさせていただきます、筑紫真衣(ちくし・まい)と申します」
「同じく、筑紫未衣(ちくし・みい)と申します」とは右側右分けの少女。
 いくら重苦しい雰囲気だったとはいえ、次の瞬間メイド喫茶になっているとは誰が予想しただろうか。面々の中には半笑いを浮かべている人もいれば、口をあんぐりと開けている人もいる。
「ゆーちゃ……これ、何?」
「え、お手伝いさんだよー」さも常識であるかのように、河村がけろりと答える。
「いや、君ンちがお金持ちなのはよーく分かった。問題はお手伝いさんにしては若過ぎやしないかと」
 そうかなぁ、と首をかしげる河村をよそに、右分け少女……未衣、だったかが口を開く。
「二年前からこちらでお世話になっておりまして、今年で十七になります」
 そこで不意に渚が。
「十七歳双子メイド!」
 どかーん!……と雷鳴が轟いた(イメージ映像として)。というか、なぜ叫ぶ。
「未熟者ではありますが、よろしくお願いします」左分け真衣が礼をすると、同時に未衣もお辞儀をして二人揃って立ち去っていった。
 テーブルに規則良く並べられた十三個のカップ。……ん? 十三? 俺は改めてその場にいる人数とカップの数を勘定する。右隣から順番に、若林、アリスちゃん、河村、庄野、鵜飼、伊月、渚、三枝、真二兄、姉貴、俺──十一人。一人はさっきの『トイシタ』って奴だとして、もう一つは何だろう。まさか二人揃って数を間違えた、ということは難しいだろうし。
 些細な疑問に頭を巡らせているうちに、また新たなチャイムが鳴った。
「樋下かな」伊月がぼそっと呟いた。何か分かりにくいしゃべり方をされると、こちらが困惑する。
「ごめんくださーーい、西多摩署の赤羽ですー」
「……赤羽?」何とも間の抜けた、伸びきった声に若林刑事が反応した。
 若林刑事が扉へ向かう。俺もこっそり付いていく。扉では先程の双子メイドの片割れ……右曲りだから未衣か……が扉を開いて対応していた。扉の向こうには「事件は会議室で起きてんじゃない」とか今にも言い出しそうな深緑のパーカーを着込んだ刑事が一人たたずんでいる。おそらく若林より何歳か若いと思われる彼は、若林の姿を認めるとちょっとだけ呆然とした表情を浮かべた。
「若林さん、なんでこんな所に?」
「……んーと、まぁ。色々事情があってだな」
「え、知り合い?」俺は思わず顔を覗かせる。
「俺の部下で、赤羽統真(あかばね・とうま)っつうんだ」
「ども、赤羽です」若刑事はニヤリと笑い、急にフランクな挨拶になった。
「オッサンって……部下、いたの?」
「オッサンとは何ですか、若林豊久といえば、西多摩ノンキャリの中では最短で本店に引き抜かれた超優秀な刑事ですよ」
「へぇーへぇーへぇーへぇー」4へぇ獲得。若林刑事はなぜか顔が赤くなっている。
「で、こちらは?」赤羽が逆に聞き返す。
「あ、俺、この人の知り合いで津嶋勇喜といいます。……というか、本当にオッサンが優秀な刑事?」
「若林さんとは、どのようなご関係で」質問を質問で返すな。
「まぁ、親戚……って所かな」
 俺が赤羽刑事の質問に答えていると、彼の後ろから彼よりも少し老けた感じの男がふらふらと舞い込んで来る。反対側には、アリスちゃんが何とも興味深そうに俺たちの会話に割って入っていた。
「お父さん、この方は?」
 アリスちゃんの呼びかけに、今度は赤羽刑事が怪訝な顔をした。
「お父……さん?」その妙な響き。「若林さん、結婚してたんですか? 絶対に生涯独身を貫くと思っていたのに」
「余計なお世話だ」と、若林はそっぽを向いて、「まぁ、実際にしたわけではないがな。知り合いが亡くなったもので、その娘を引き取った。それが彼女だ」アリスちゃんを指さす。
「知り合いって……どんな関係で?」
「本当に知り合いだよ」若林は正面扉にもたれかかった。アリスちゃんが言葉を継ぐ。
「すみません、自己紹介が遅れました……私、芹沢……じゃなかった、若林アリスと申します」
「芹……沢?」
「あ、芹沢というのは私の旧姓で」
「そろそろ……いいですかね?」四人の人間が玄関前で問答していると、後ろにいるギョロ目の男がなかなか中に入れないわけで、しびれを切らして会話に割り込んできた。
「こちらも警察の方?」いやいや、と赤羽刑事は否定する。「となると」
「すみません、遅れました。樋下が来た、と言ってくれれば分かると思います」
「樋下?」またも赤羽刑事が首を捻った。先程の腑に落ちないこととは違う意味で。「もしかして、樋下忠(といした・ただし)さんでは?」
「ええ、確かに私は樋下忠ですが……なぜそれを?」
「九年前の事件でお会いしたことがあると思います」赤羽はささやくように答える。
「……ん、ああ、あの時の」そうとだけ呟いて、樋下はメイドに促されてそさくさと中に入っていった。樋下の姿が見えなくなったあたりを見越して、俺たちは引き続き玄関先会話を続ける。
「芹沢って……芹沢春香さんの?」
「いやいやいやいや」若林は否定の声を上げる。「芹沢違いだよ。こいつの母親とその芹沢春香という人物とは何の面識もない」
「珍しい偶然もあるんですねぇ」赤羽は一人で納得していた。
「つか、お前何の用件で来たんだよ」当然の疑問だ。普通はこんな場所に刑事が訪れる理由はない。
「……まず、中へお入り下さい、寒いですし」後ろからそう告げたのは、さっきまでの表情とは打ってかわって、凛とした顔を見せた河村だった。


  7.

                    ……平成十八年五月三日 午後三時五十二分

 リビングは既に閑散としている。誰もいない静けさに、俺は思わず溜息をつく。なんかもう、せっかくのバイト三昧ゴールデンウイークを潰してなんでこんな所に、と今更言ってもしょうがないが、給料も出ない、ただひたすら文献に明け暮れる大学院生としては束の間の安らぎを求めていたことも事実。……しかしまぁ、何でこんな面倒に巻き込まれなきゃならないのか。無言の訴えは誰にも届かない。
 俺がぽりぽりと頭を掻いている横で、赤羽刑事と河村、それから俺たち約五名。ドアの側には双子メイド。ただ突っ立ったままでこちらをじっと見つめているのは、何とも心地が悪い。
 死者からの招待状。その話を河村と若林の二人から聞いている赤羽という男は、何度も何度もうんうん、と首を上下させている。一通りの話が終わり、若林は尋ねた。
「赤羽を呼んだのは河村さん……あなたなのか?」
「はい、私です。春香ちゃんが亡くなった時の担当の方が、赤羽さんでしたから」
 河村はこくりと頷く。今までの不思議系少女の容貌が打ってかわり、良家のお嬢様の雰囲気を醸し出している。ここまで二面性……というか、変わり身が早いと見ているこっちが混乱する。
「もう、十五年前になりますか。昔の話です」赤羽は呟く。「若林さんが転属して、すぐの話ですよ」
「西多摩署最強の刑事、ねぇ……」俺は半信半疑でオッサンの顔を改めてチラ見する。当の本人は意に介さない振りをして、手元のホープの封を切っている。この人がちゃんと仕事の出来る人だというのは異論を挟む余地はない。低いテンションに高い実力……どこかで聞いたことのあるような話だが、それが若林豊久警部補に対する、俺の偽らざる認識だ。そうでなくても、三十代半ばで警部補の職に就く……なんてことはまずあり得ない。コネを用いる様子もない、だからといって群れから完全にはぐれているわけではない。だからこそ、彼の肩書きが如実にその優秀さを物語っているのであろう。
「すみません、美加さん、それから有沙さんにお尋ねしたいことがあるのですが」アリスちゃんが静かに手を挙げた。
「ん? 何?」姉貴はどこからともなくマルメンライトを取り出し、火を付ける。
「姉貴禁煙したんじゃなかったのか」
「子供が出来たら考えるってー。んで、どったのアリスちゃん?」
「有沙さんはお父さんの職業を知っていらっしゃいましたか?」
「お父さん?……ああ、若林さんのことね。多分知らないと思うよ、言った覚えもないし」
「うん、ゆーちゃ、確かに聞いてない」口調がいつの間にか戻っている。
「ちょっと待った」突然のアリスちゃんの疑問について行けず、俺は話を遮った。「とりあえず、意味が分からんのだけど。オッサンの職業が何か問題でも」
「まぁ、問題というわけでもないんですが」
「偶然にしては、できすぎよね」後ろから飛んできた声に面々が顔を向けると、白いドレスに身を包んだ女性──庄野早希が現れた。「でも、まさか刑事が二人も現れるなんて、犯人も予想してなかったでしょ」
「さきちゃ、そんな、〝犯人〟だなんて──」河村が牽制するが、女優なのかモデルなのか、庄野はしゃなりしゃなりとソファーの方に進み出でて、俺とアリスちゃんの間に座る。なんか高そうな香水の匂いがぷんぷんと広がり、消臭プラグでも買ってきてやろうかと思った。
「茶番劇はさっさと終わらせて、同窓会を楽しんだ方が良いに決まってるから、口を挟ませてもらうんだけど。単にそこの無精髭の刑事さんが来るって分かってれば、有沙もわざわざ赤羽さんを呼ばなかったでしょ?」
「ん、まぁ、そうだけど……」河村は完全に口ごもった。庄野の考えは至極もっともだが、どうも言葉に棘がある。姉貴のしゃべり方とはまた別の、棘。
「そういえば、あの後って何も出てこなかったんだっけ」
「何かって……何が? 何も出てこなかったけど」
「そうか、よかったぁ」
 よかった……? そう言って、庄野は安堵の表情を浮かべ、胸をなで下ろす。
「庄野さん、今、よかったって」
 俺が疑問を挟むと、彼女は表情を一変させ、自らの失言をひとしきり悔いた後、作り笑いをして。
「ごめん、邪魔者は帰るから。またあとでー」
 そさくさと立ち去っていった。
「……何が言いたかったんだ、あの人」
「根拠はあまり無いですが」アリスちゃんは、庄野の後ろ姿がドアの陰に隠れるのを確認してから、「あの後、が春香さんの死を指すのであれば、どうやら春香さんの遺品にご興味がおありのようですね」
 遺品?……姉貴の歳が今年三十だから、十五年前は中学三年生……遺品の一つや二つぐらいは残していても問題ない年頃だろうけど……。
「むしろ。何かの品物よりも目立つものとすれば、遺書だと思います」
「遺書?」ほとんど喋ってなかった真二兄が割って入った。もっと会話に入ろうよ。
「もちろん、遺書も見つかってないんですよね?」
 赤羽は何も喋らず、ただ首肯するのみ。
「遺品の類であれば、既に十五年前に確認されていることでしょう。ですが、十五年経った今となってさえ、同級生の皆様が気になるものとすれば」
「遺品以上に、彼女の思いが込められたもの?」
 一つの結論に到った真二兄に対し、アリスちゃんはただ頷くだけ。この人は他人事になるとすこぶる勘が鋭い。実は陰でこっそり探偵みたいなコトしてんじゃなかろうか。
「春香ちゃんの、思い……」
 河村は一言呟いて、それきり黙りこくってしまった。

            *

 赤羽刑事は「何かあったらまた来ますから」とだけ言い残し、屋敷を後にした。気味悪い手紙と言うだけでは、個人的に相談に乗ることはあっても、警察組織そのものが動くことは至極難しい。警察は何かあってからしか動かないのではない、忙しすぎて何もないと動くどころではないのだ──とはオッサンの弁。
 俺たちは一旦解散して、それぞれの部屋に戻る。俺は二階にベッドをあてがわれており、とりあえず少しだけでも休む時間が欲しかった。……部屋に向かう途中の一階の廊下、アリスちゃんと俺はお互いに考え事をしながら歩き続ける。
 しかし、なぜ今なんだろう……? 単純な疑問ではあったが、そこに落とされた一滴のインキは、少しずつ水を黒く染めていく。水滴が石の上に落ち続けると、いつしか穴が空くように。
「なんで、今なんでしょうね」
 アリスちゃんも同じ事を思っていたようだった。
「十五年も経って、三十の大人を六、七人も集めて、紛らわしい手紙を出して……なんかやることが分からんよな」
「私もそう思います、ですが」そこで息をつき、あくまでもにこやかに、笑いながら話を継ぐ。「意志を感じずにはいられません」
 彼女の微笑みには、特別な意味がある……こんな感じの腐れ縁も早五年、俺はある程度、彼女の性格を掴めるようになっていた。俺には何となく分かる。感情を取り戻すのには未だリハビリが必要な彼女の微笑みは、決して心からの微笑みではないことも。
「だよな……十五年前か……俺何やってただろ」
「私が産まれたあたりの頃ですね」
「そりゃそうだろ、アリスちゃん今年で十五なんだから──……」

 瞬間。今、なんか、見えた。

 アリスちゃんと俺の真ん中をひゅっと花瓶が通り過ぎ、足元で大きな音を立てて割れた。あまりの一瞬の出来事に俺たちは凍り付く。
 がしゃん、と響き渡る音。今のは何、と次々に顔を出す。下を向いて、割れた陶磁器を見つめると……散乱した花束の中には一枚の文章。
 〝この村には、近づくな〟
 あたりを見渡す。二階、踊り場、吹き抜けの天井──何度も目をこらして見つめるが、突然の出来事に俺は対応出来ず、何者かの姿を確認することもできない。
「……やってくれるじゃん」
 何者かの悪意をぶちまけられた水の上に認めて、俺は思わず、不快な笑みを浮かべていた。


  8.

                     ……平成十八年五月三日 午後九時十七分

 二階の談話室に俺は座り込んだ。
「どうしたの、狐につままれたような顔して」
「狐だったらまだ良かったんだけど」
 姉貴は今の騒動を知らなかったかのように、あっけらかんと話す。こっちは命が三・一四秒縮んだというのに。本当に勘弁してくれ。
「何しろ花瓶だからなぁ……絶対狙ってきたって。わざとだってわざと」
「そんなグーゼンだって、グーゼン。あたしだって、二十歳そこらの頃は花瓶どころか火炎瓶だって落ちてきたもんだから。……花瓶じゃなくて火炎瓶……くくくく」
 何を一人で受けているのか分かりませんが、あなたのレディース頭領時代と一緒にしないでいただきたい。
 この家には一階と二階の両方に談話室はある。花瓶の騒ぎでバラバラと多くの人間が一階に集ってきたが、そんなに時間もかからずに解散となった。例のメッセージを俺が咄嗟に隠した、というのもある。紙を掲げて詰問することは簡単だ。しかし、向こうは本気である。そう簡単に口を割らないだろうし、俺がメッセージをどうこう言うこともおそらく織り込み済みだろう。
 結局、割れた花瓶は双子メイドにより三分もしないうちに片付けられ、後には長期間にわたり花を挿してあったことに寄る、ヘドロみたいなものと水たまりが残った。
 何人かの人間は一階の談話室から出てきたようだった。画面の向こうから作ったようなアイドルの悲鳴が聞こえる。チープなホラー映画をみんなで鑑賞していたらしい。河村がそれを聞きつけ、「ずるーい、私まだ見てないのにー」と駄々をこねる。もう三十なんだからその行動は改めたらどうか、とも思ったが……余計なお世話なのだろう。
 夕食にはカレーが出た。とある人物による、たっての希望らしい。……一応、誰かは詮索しないでおいた。
「たく、なんでこんな所に連れてきたんだよ、姉貴」
「まぁ、これも一つの運命と思って諦めな」無茶言うな。
 そう会話を交わしていると、談話室の扉を開けて数人の人間が入ってくる。
「……カレーのレシピ、さっき真衣さんからじっくりと聞かせてもらいました」
「私もちょっとは気になったけどね、行動力が凄いや」
「由美ちゃん、何いってんの。まさか激辛ブログの神にこんな所で出会えるなんて夢のようだ」
 激辛……ブログ? 何をやってるんだこの人たちは。後ろを振り向くと、神と崇められたアリスちゃんが鵜飼、伊月を両脇に揃えて中に入ってきた。つか、伊月の口調、さっきまでとは変わってねぇ?
「伊月さんって、そんな性格だったんですか? さっきとは全然ちが……」
「あれ、俊はもともとこんなんよ、初対面の人には冷たいけど、単純に人見知りが激しいだけだから」
 鵜飼がフォローを加える。どうやら俊、というのは伊月のようだ。確か下の名前が俊介……だったっけ。
「でだ。アリスちゃん、この集まりは何?」
「激辛同盟です」言い切りよった。「スパイシーとは素晴らしい! それを追求し、追究し、天の頂きに全てのスパイスを!……というブログの読者同盟です」
「で、この方こそブログの管理人すら一目置いている常連の『キャロル』さんですよ」
 アリスちゃんを紹介する伊月の表情がいつの間にか自信満々の笑みになりつつある。今にも「計画通り」とか言い出しそうな笑顔で……ってアレは笑顔だったのか? まぁいいけど。
「で、話を戻しますけれど。本格インドカレーを標榜するお店でも、ちゃんと野菜と肉でスパイスを使い分けているところは少ないんですよ。その意味では、今回のカレーはちゃんと肉をしっかりと煮込み、ペッパー系の香辛料が肉の味わいを上手く引き立てています。都内のお店でも、そう簡単に食べられない、本格派のチキンカレーライスですよ」
 アリスちゃんは自らの推理を披露している時と全く同様の口調で、カレーに対する批評を加えてくる。……このまま行くと、今回の逗留はカレー付けにさせられかねない。それはそれで勘弁して欲しいのだが、多分彼女は聞く耳を持たないだろう。
「やっぱり神の言うことは違うわぁ」
 鵜飼はアリスちゃんの語りに耳を傾けながら、うっとりとしている。世の中には類友という言葉が本当にあるらしい。
「惜しむらくは、ちょっと塩味が強いことかな」と伊月。
「そうですねぇ、確かに塩分は少し多めでしたね。そこがネックではあります」
 本当に幸せそうな会話だ。三人のことは放っておいて、俺はソファーに座り直した。ソファーは窓の方を向いており、月明かりが綺麗に外を照らし出す。
 月が次第に雲に隠れ、外は一瞬真っ暗になる。俺は激辛同盟に再び顔を向ける。案の定、カレー談義はまだ続いていた。
「だからといって、スパイスだけではあの味の深みは出ません。多分ルーを割るスープにも秘密があるのかも知れません」
「そうそう。それだけじゃ…………あれは?」

 突然、鵜飼の口調が変わった。何か見てはいけないものを見たかのような──それにつられて、俺は窓の外に目をやった。真っ赤に咲き誇るヒナゲシの花。ぼうっと浮かぶ枯れ桜がヒナゲシの中に立って見える。その真ん中に立つ〝それ〟は、儚く、あるいは恐ろしくすら思えた。
 ──しかし、何かがおかしい。俺はもう一度それを凝視する。空中に浮かぶ白いドレス。青ざめた貌(かお)。表情は見えない。アレは……?
「庄野さんだ」
 伊月が目を見開いて、俺の隣でその樹を凝視する。誰かはぱっと分からなかったが、そこには人間が首を吊られている姿が見えたような気がした。
「……やべぇ」
 俺は走り出す。階段を一気に駆け下りる。俺のあとに伊月も。
「若林さん、お父さん呼んで!」
 鵜飼が指示を出し、アリスちゃんもまた、階段を駆け下りていった。一階からは姉貴と真二兄、若林、渚、筑紫姉妹、それから河村が顔を覗かせる。少し遅れて三枝も俺らの後に続く。一様に焦りの表情を浮かべ、若林は「どうした?」と駆け寄ってくるが、俺には余裕がない。アリスちゃんが鵜飼の指示通りに若林に簡潔な説明をすると、彼は三枝の後に続いて俺らを追った。
 屋敷を飛び出し、走り出した先には花畑。ヒナゲシの花畑をかき分け、その肢体の元へと突き進……もうとした。俺は一瞬足を止める。
「……消えた……?」
 改めてヒナゲシ畑を進む俺と三枝。伊月と渚、若林は少し離れたところから俺たちを見ていた。
「なんかあったかー?」「いいえー」
 少し離れたところから三枝の声が聞こえ、俺は否定の言葉を返す。自分の眼前に現れたそれが真実なのかどうなのか、俺には判別が出来ずにいる。悪戯、という可能性はなぜか頭から吹き飛んでいた。悪戯で済めばどんなに良いか。しかし、これまでの状況が『そうではない』と警告する。
 胃が煮える音がする。ぐつぐつと、はらわたのソレではなく。嫌な予感が自分の中で渦巻いている証拠。空には一筋の光が、すっと流れて消える。
「どうしましたか?」
 凪がその場をあざ笑うように、そよそよと花を揺らした。アリスちゃんの問いかけに、俺は聞こえないふりをする。今のは幻だったのか──否、あり得ない。ましてや、ここにいる全員が、同時に幻を見ることなど……!
 表現しようのない何かがわさわさと蠢いている。その事実を前に、鼓動が一瞬止まったような気がして、
「…………嘘だ…………」
 俺は思わず一言、呟いていた。




「EquaL // PhantoM」問題編第2話
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