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10 /手がしびれています水曜日。僕はときどきPC保守みたいなお仕事もしているのですが、お客様のPCをずっと触っていたら静電気にばっちり感電してしまい、ずっとビリビリ。PCそのものは無事ですが、おかげで手がしびれている状態。びりびり。
なんかゼロアカをみてるとウルトラクイズのチェックポイント通過を思い出しますね日曜日。というわけで、文学フリマ行って参りました。今回、色々お世話になった市川憂人さん、杉本@むにゅ10号さん、秋山真琴さんのお三方には熱く(not誤字)御礼申し上げます。
そして、アリス文庫版1巻を早々に売切らしてしまい、自分の見込みの甘さにただ平身低頭する限りであります。再来週のTRIPまでには増刷しますので、それまでもう少しお待ち下さい(何冊増刷すればいいのかな……)。
で、詳細レポは気が向いたら。一番面白かったのは突然2階の隅っこでアジをやりはじめる三島由紀夫と、それを嬉々としてビデオに収める道場主の姿でしたとさ。
出発しますよ金曜日。寝て起きたらね。
で、市川憂人さんのご厚意により、第七回文学フリマに本を置かせていただくことになりました。
11/9(日) 東京都中小企業振興公社・秋葉原庁舎
A-15 Anonymous Bookstore
以上、当日お会いできる方もよろしくお願いします。
なおコピペになりますが、アリス真相当てクイズはまだまだ募集中。〆切は11月9日午前3時です。
(前半)http://qed-jp.com/log/200811/022141.php
(後半)http://qed-jp.com/log/200811/031147.php
やっと告知できるよ! 水曜日。一応11月9日頒布開始予定ではありますが、文学フリマの委託先は未定です。現在、必死で探している状況ではありますが……。
詳細はQuantum EDiter@チャレマからどーぞ。
なお、アリス真相当てクイズはまだまだ募集中。〆切は11月9日午前3時です。
(前半)http://qed-jp.com/log/200811/022141.php
(後半)http://qed-jp.com/log/200811/031147.php
問題編1 → http://qed-jp.com/log/200811/022141.php
4.
誰かが一瞬の悲鳴を上げる。その瞬間、会場は大きなどよめきに包まれた。
「千夏!」
左端にいた甲本が彼女の元に駆け寄り、肩を抱きかかえる。「緞帳下ろして!」の誰かのコールが響き、幕が下りる。
「大丈夫か、千夏!」
その間にも甲本の叫びは止まらない。
「だれか、救急車、救急車を……」
そう言い終わるか終わらないかの内に、緞帳は最後まで下りきった。その場にいた誰もが、尋常でない事態を察している。だが、誰も動けない。異変が起こったのは明らかであるが、場内が暗いままでは身動きすら取れない。
数分が経ち、観客席に明かりが点る。それでも、ざわめきは決して収まることはない。
「ご来場の皆様、大変申し訳ありませんが、今回の公演は不測の事態が起きましたので、これをもちまして一切を終了させていただきます。なお、今回のお詫びに関しましては、後日改めて当楽団ホームページなどで……」
先程から何度か出てきていた司会のお姉さんの声が場内に響き渡り、観客に一時の退席を促す。あまりにも突然の事態に、明らかに声が震えていた。
「……ちょっと行ってみる」
え。……言うが早いか、姉貴はすっと立ち上がり、早足で非常口を出る。俺とアリスちゃんは置いて行かれないように、慌てて荷物をまとめて彼女の後を追った。
「行ってみるって、姉貴何の真似だって」
「あんたも見てたでしょ、あれが普通の事態じゃないことに」
つかつかと向かう先は最初に訪れた関係者楽屋。けたたましく喚いていた救急車のサイレンがピタリと止まり、隊員が駆け込んでいったかと思うと、すぐに松田の身体をタンカに乗せて出てきていた。羽織っているのはスタッフのものだろう、胸に北都フィルのロゴが入っている。ただ、一瞬見えた彼女の顔からは、もう既に生気は消えていた。……息をしている様子もない。
呆然と、その場にいる誰もがその様子を見つめていた。
「……残念ながら、即死でした」
若林刑事はその場にいた面々に静かに切り出した。
「オッサン……どうしてここに? 仕事じゃなかったのか?」
「これが仕事以外の何に見えるっつーんだよ」
松田千夏の死亡が確認され、若林刑事が現場に到着したのは事件発生から約二時間後。どうやら救急隊から事件性有り、との報告が入ったのだろう。そして、捜査一課三係の刑事である若林のオッサンが呼び出されたと言うことは──。
「そして、その原因となったのは小さな針です。よく、裁縫に使うような縫い針ですね……この先端が頸部に刺さっていました」
「豊久さん、つかそんなので人が死ぬの?」
「今回の場合、刺さっていたのはここ」姉貴の疑問に答えるかのように、オッサンは喉仏のあたりを指さす。「丁度喉の中央部分。気持ち少し刺したぐらいでは死なないが……針の先端に猛毒が塗ってあったら別だ」
「毒……!?」
その場にいた全員が一気にビクッと肩を振るわせる。
「ああ、使われたのはシアン化ナトリウムって奴だ──ミステリでよく言われる使い方をすれば、〝青酸ソーダ〟。〇・三グラムほど人体に注入するだけで、呼吸困難を起こし死に至る。金属工場では青酸カリよりもメジャーな薬物だから、入手すること自体はそんなに難しくないだろう」
「刑事さん、それってつまり……千夏は殺されたって事ですか?」
甲本が顔を床に向けたまま呟くと、「そういうことになります」とだけ刑事は答えた。
「どういうことなの……」次に発言したのは鏡。涙をボロボロとこぼしていて、純白のドレスがずぶ濡れになりそうだった。「なんで、何でいきなりこんな事に」
「〝いきなり〟……?」
まるで何時かはこのようなことが起きるのではないかと思っていた──鏡の発言はそう受け取れた。再び肩が震える。特に、真ん中にいた三人の動揺は隠しきれない。
「先に言っておきますが、俺たちは三人三様に、何らかの形で松田千夏を恨んでいた、と言うことですよ。……殺したいぐらいにね」
「やめないか大江! そんなことを話しても何にもならな」
「それはこの刑事さんが決めることだぜ」激昂する甲本を冷静になだめるように、落ち着いた表情のまま大江は語りかける。
「では、状況を聞かせていただきたいのですが」
落ち着いた表情のまま、若林刑事はタバコに火を付け……る仕草をしたが灰皿がないことに気付き、取り出したホープを再び箱の中に仕舞った。
「公演が始まったのが夜七時、例の曲が始まったのが……」
「八時半ぐらい、でしたかね」刑事の問いに答える甲本。「決して長い曲ではありませんから、本当にすぐです。始まって一分ぐらいして、明らかに三人とも千夏の様子がおかしいことには気付きました」
「隣から見ても異様だったとは思いますよ。あれだけ身体を揺らしていれば、気付かないわけはありません」大江が言葉を繋ぐ。「お客さんのざわめきもこっちまで聞こえました。ですが、僕も妙に身体がだるくて、すぐに彼女を支えることはできなかったんですよ」
「身体がだるく?」
「ええ、本当に急に」
大江が若林刑事の疑問に答えると、鏡もまた、
「あ、私もですね。松田さんがガタンと倒れて、何とかシャキッとしましたけど」
「二人とも急にだるく……ですか」刑事はさらさらとメモを取る。「問題はここからですね、確か松田さんが倒れた後は……」
「俺です」甲本が半ばだるそうに手を挙げる。「俺が千夏の肩を支えました。でも、幾ら揺らしても何とも言わないので、すぐさま救急車をお願いしました。そして、その場にいた舞台監督に彼女の介抱をお願いして、俺はあと二人の動揺を抑えるように細心の注意を払いました」
「……では、その時、彼女の首に針が刺さっていたのは見ましたか?」
「いえ、動揺して……見覚えはありません」
「……わかりました」
若林刑事はそう呟くと、小さな溜息をついて手帳を閉じた。
5.
「動機……?」
開けて一日。夜も遅いとのことで、その日は簡単な事情聴取だけで解散になったものの、肝心の動機部分については全く聞けていない。俺は姉貴の命令で「ちょっと聞いてきて」と言われ、スパイ活動に従事することとなった。
最初のターゲットはその動機の存在を仄めかした大江昭。
「大江さんは、確かあの時『殺したいほど恨んでいる』みたいな話をしていらっしゃいましたよね? しかも、あの中の誰もが」
彼は昨日と同じ劇場でチェロの調弦をしていた。何でも弦の張り方一つで音色が全く違うため、レコーディングルームなどに籠もって仕事しないと調子が狂うのだとか。それほど神経質に作業を進めているのだろう。俺はその部屋に入ろうとしたところで、若林刑事に引き留められた。
「おまい、何をしている」
「いやぁ、どうも好奇心というものがうずいてしまって」
「どうせ美加さんとアリスから突っつかれたんだろ……まぁいい」
そんなやりとりの後に俺も話を聞かせてもらえることになった。……いいのか警察。
「だね、彼女は周りの人間に好かれるタイプではなかったよ。お世辞に言ってもね」
大江は若林刑事の問いかけに、弦の方を見つめたままこちらを向かずに淡々と答える。
「それこそ、殺したいぐらいに?」
「まぁ、俺もだけど」さらりと危険なセリフを言う大江。「なにしろ、この四人は出来合いのカルテットじゃなくてさ……その中で一際目立っていたのは確かだったな、あの女は」
大江は口元を少しだけ曲げる。
「彼女は確かにチェリストとしては最高だ──だが人間としては最低だった。アイツの男性遍歴見てみろよ、びっくりするぜ──その裏で泣かされた女も多いと聞く。例えば」
「例えば?」思わずオウム返しをしてしまった。
「鏡なんかそうじゃないかな。アイツ、元々は甲本と付き合っていたのに、それを取られちまったんだから。その情念、想像するに余りある」
そうですか、と相づちを打つと若林刑事は一息ついてから。
「松田さんが倒れた時、眠気に襲われたと聞きましたが」
「ああ、確かにそうだった気がする。確か二曲目のあたりだったかな。その後は何とか気合で起きられたからいいけど。お客さんに無様な演奏を聴かせるわけには行かん」
「ああ、そうだよ……確かに言った。『何時かは』殺されるんじゃないかって」
鏡美弥は近くのホテルに滞在していた。今日は何もしたくないのだという。さすがに女性の部屋に男二人押し寄せるわけにも行かないので、俺たちは彼女をホテルのロビーに呼び出し、できるだけ隅っこで話を切り出していた。ロビーぐらいなら、人が多すぎて俺たちの会話に気に留める人間もそんなにいないだろう──という判断。
「あなたは、以前甲本さんと恋愛関係にあったそうですが」
「そう、でもあの女に盗られちゃったわけ。あたしにも彼を振り向かせるだけの魅力がなかったんだろうから、仕方ないけれど……そりゃ、殺したいほど憎んだわよ、本当に」
彼女の格好は至ってラフではあったが、折り目正しく足元まですらっと伸びたチノパンが、本人の着こなしの良さを表している。まだ春も終わりかけだというのに、ブラウスの切れ間からチラリと見える胸元が、どうも俺にとっては妙に居心地が悪い。
「でも、たったそれだけのこと。彼女だったら、私が殺さなくても誰かが殺してくれると思った。だから、何時かは誰かが……というわけ」
鏡はそう言って、目の前に出された熱々のコーヒーをすする。……コーヒーで思い出した。
「すみません、確か眠気みたいなのを感じた、というのはあなたもおっしゃっていたかと」
「あ、そうそう。彼女が倒れたあたりだったかな。変に身体がだるくなってきたのよ。緊張しすぎて頭がぼーっとしていたのかな、と思ったんだけど。でも私たちカルテットは今回のホールよりも大きな会場でやった事なんて何度もあるし、そう簡単に緊張なんてしないはず……いや、自慢じゃないんだけどね」
「結構タフなんですねー」
「タフじゃなきゃこの世界やっていられないわよ」
ふふん、と得意げに鼻を鳴らす彼女。
「その前後に、何か変わったことは?」
「いや、なかったけど……若干ライトがいつもより熱いかな、と感じたぐらいで」
「ライト?」
「まぁ、気のせいかも知れないけどね」彼女は再びコーヒーをすする。「他には?」
「話を戻して……もしお尋ねできるのなら、松田さんを殺した人間に心当たりは」
「実際、悠人も相当頭に来ていたと思うよ、いろいろと」
「え、甲本さんが?」
「あの女、今の地位を得るためにいろんなところにかけ合っていたって噂。場合によってはそれこそ著名なご歴々をたぶらかしてたりしてたみたい……それに悠人が我慢ならなくなったって、無理のある話じゃないと思うよ」
「そんなことはないぜ」
ホールから三百メートル先にある喫茶店。甲本悠人は鏡の証言を聞いて一言、ばっさりと切り捨てた。
「第一、千夏の奔放癖は今に始まった事じゃない。もし俺が我慢ならなくなっていたとしたら、こんな姑息な手段を使わずに殺っているさ」
プリン・パフェ・アラモードです……とウエイトレスが持ってくる。……しかも二人分。甲本は長いスプーンを手に取ると、その黒いポロシャツに誤ってクリームを付けてしまわないようにしながら、慎重に口に運ぶ。俺もそれを見て、まずてっぺんに乗っているチェリーを口に頬張った。
「オッサン、これ経費で落ちるよね」
「んなわきゃねーだろ。自分のパフェ代ぐらい自分で払え」
……けち。甲本はプリンの上に乗っかったカラメルをスプーンではぎ取りながら、こちらを見つめてくる。
「俺よりも大江の方がアレだと思うよ、千夏、俺と付き合う前は大江の女だったんだから」
「……え、そうなんですか?」
大江が一瞬言葉を濁した理由が分かった気がした。
「後から聞いた話だと、よっぽど酷い扱いをされていた上に捨てられたらしい。俺にもどうだろうけれど、千夏に関しては人一倍何じゃないか」
甲本のパフェの絡めるが全て消えたあたりで、若林刑事はもう一つの話題を切り出す。
「松田さんが倒れた時、最初に彼女の元に向かったのは甲本さん、あなたでしたね?」
「ああ、間違いないよ」少しずつ、プリンがそぎ落とされていく。「千夏の元に一番最初に駆け寄ったのは俺だ、間違いない。だが、俺は殺してない」
「もう一度伺いますが、その時彼女の喉元に針などは」
「だから全く覚えていない、と言ったはずだ。それに俺を疑っているとしたら……俺は千夏の肩しか触っていない」次に生クリームの部分を丁寧に寄せ集め、口の中に入れる甲本。「ただ、もしかしたらビデオに映ってるかも知れないけどな」
「ビデオ?」俺はそんなの初めて聞いたぞ。
「そちらについては、捜査本部の方でお借りしています。確か、公演のビデオ販売のために録画しているのだとか」
「それを見れば、俺のいっていることに間違いはないんじゃないかな。それではっきりする」
「ただ、残念ながらビデオからは幕が下りてからの様子は把握できませんでした」
「その後は、舞台監督に彼女を預けて、俺は残り二人の様子を見た。二人は若干意識がもうろうとしていたみたいだけど、倒れるまでには至っていなかったようだな」
「ちなみに甲本さんは」
「何故か知らないけれど俺は平気だったな。眠気も全くない」
ここで疑問が沸いた。
「ところで、何故あなたは千夏さんをずっと介抱してあげなかったんですか?」
「それは……」甲本が初めて言葉に詰まった。「もう、俺の心が千夏から離れていたからかも知れないな。もう限界に近かったのは間違いないし……」
甲本が喫茶店を出たあたりで、俺とオッサンは二人、喫煙席へと移動する。今の今まで音楽関係者と会うという配慮からか、タバコを控えめにしていたのがそろそろ限界に来たのか、オッサンは手元のホープに火を付け、至福の表情で煙を吐き出した。
「あーもー、だから取り調べはいやなんだって。緊張感が余りありすぎる」
「オッサンはいつも緊張感がないだろうが」
日はもう既に傾きつつある。午後五時半。頃合いを見計らったかのように、喫茶店のベルが鳴った。
「話は済みましたか?」
「いや済んだけど……って姉貴はともかく、何で亜希ちゃんや佐和さんまでいるんだよ」
扉の向こうからぞろぞろと女四人衆、俺たちのいた喫煙席の近くまでやってくる。オッサンはばつが悪そうに灰皿にタバコの火を押しつけた。
ウエイトレスが持ってきたのは、コーヒー三つとミルクが一杯。ミルクはもちろん、コーヒーもジュースも飲めない、アリスちゃんの分だ。
「どうしても、あたしたちも話が気になって……今回の事件を担当しているのが麻生の叔父さんだっていうから」
「一応義理のね」姉貴が補足する。って、変な騒ぎを起こした張本人は何のおかまいもなしに、コーヒーをずるずるとすすっている。
「進展はあったんでしょうか?」
「んー、実際甲本の証言によれば、肩以外どこも触っていない、と言うことなんだが……お前らも見てたんだろ? 様子はどうだった?」
「様子もなにも、結構遠くからだったから見えにくかったけど……確か変な動きはしていなかったと思うよ、甲本さんは」
「実際、それがこの瞬間を写したビデオからの写真なんだが」
オッサンは机の上に何枚か写真をばらまく。そこには斃れる松田、寄り添う甲本、何とか体勢を整えようとしている大江と鏡の姿。
「これを見る限り、甲本は証言通り松田の肩を手で支えたまま。幕が下りる直前かな、ほら、ここで舞台監督の足が見えている。多分この時に松田を監督に預けたのだろう」
「でも、実際倒れたのは松田さんが倒れるよりも前なんでしょう?……そうしたら、観客席から吹き矢でも吹かない限り、彼女の胸元に毒針なんて刺せないでしょう」
姉貴が当然の疑問を口にした。そう、この毒針は一体どこから現れたのか? 全員が考え込んでいる間に、ウイリアムテル序曲が流れた……オッサンの着メロだ。
「はい、若林──了解、サンクス」
刑事は携帯の蓋を閉じると、神妙な面持ちをしてこういった。
「解剖の結果、松田の鼻腔には大量の睡眠薬の成分が検出された。あと、鑑識からも……同じ成分が松田のチェロから検出されたそうだ」
「睡眠薬……なんのために」
俺が呟いたその時。今までニコニコしながら話を聞いていたアリスちゃんは、静かに話題を切り出した。
「津嶋さん、ピタゴラス──という名前を聞いたことがありますか?」
「ん、まぁ名前ぐらいは」
確か『三平方の定理』の別名を『ピタゴラスの定理』とも言う……と高校の授業で習った記憶がある。直角三角形の斜辺の二乗は、その他の辺をそれぞれ二乗したものの和に等しい、というアレだ。
「ピタゴラスは数学者で哲学者でもあり、〝万物は数である〟という言葉を残していますが……もう一つ、音楽理論の基礎を作った人物ではないかとも言われています。音楽はよく知られるドレミの他にもABCDで表されることはご存じですよね?」
「うん、まぁ何となくは」
「音はいわゆる空気の周波数によって変化するのですが、その変化の仕方の一つにピタゴラス音律というのがあります──詳しいことは省きますが──これは鍛冶屋の金槌の音を聞いたピタゴラスが考案したと言われています。つまり、数学と音楽は昔から非常に近い関係があるんですよ」
「わかった、わかったから。うんちくは後な」
「一見、この事件は衆人環視の中で起きた毒殺トリックにも見えます。ですが、一つずつ場合分けして考えれば、そう難しいことではありません。例えるなら……音の一つ一つは十二音階の構成要素の一つでしかありませんが、それが複数重なることで和音となり、素晴らしいハーモニーとなるのです」
動機を持つ三人の演奏家たち。衆人環視の中で倒れたチェリスト。突然現れた毒針。
そして彼女が回りくどい例えを用いる時、だいたいは問いに対する解に肉薄していることを示している。
「つまり、この事件もそうだということです」
全てを終わらせるために、彼女は解答の旋律を弾き出す。
その曲のタイトルは……『演算完了《イコール》』。
【問】以上の事件の概要を読み、次の問に答えよ。
(1) 松田千夏を殺害した犯人の氏名を答えよ。
ただし、犯人は単独犯であり、共犯者は存在しないものとする。
(2) 犯人を特定するに至った根拠と、
その人物が松田を殺害した時に使用したトリックを400字程度で示せ。
解答条件
・答えがお分かりになった方は、メールまたは本人のmixiメッセージにて解答を投稿して下さい。
完全正解者の方には、「EquaL 迷宮の国のアリス 文庫版第三巻の書き下ろし新作登場権」または、「EquaL 迷宮の国のアリス 第二巻」のどちらかを差し上げます。
・回答期限は11月9日午前3時です。
・解答編は11月9日頒布開始予定の「EquaL 迷宮の国のアリス 第二巻」においてのみ公表させていただきます。
・なお、トリックにミスがあった場合、問題文を書き換えさせていただく場合があります。その場合、書き換えた事実のみをブログに公表するものとし、書き換え内容の詳細は記さないものとしますのでご注意下さい。
今回はトリックをかなり簡単にしています。あることに気付けば、一発で犯人とトリックを指摘できるはずです。皆様の解答をお待ちしております。
困った時の日曜日。アリス新作は6割5分ぐらいできていて、現在状況を廻りから埋め込んでいるところです。プロットはできたから後は文章という型に流し込むだけ、と言う方法を取っているため、僕の場合はその「型への流し込み作業」が非常に時間がかかるのです。希に三年四年とかかかって、流し込む用のプロットがカチコチに硬化してしまったり……注意が必要です。
とりあえず、前半部をうpしました。
http://qed-jp.com/log/200811/022141.php
後半部は明日の朝までに……うpしたいなぁ。もちろん、真相当てクイズもその時点からスタートします。
あと、気が向いたら「ネウロ本」と「前回のアリス特別編」の解答編もうpするつもり。本当に気が向いたら、ですが。
EquaL 迷宮の国のアリス 特別編
「セロの焦点」
踝 祐吾
耳鳴りがした。
自分の中に流れる不協和音《ディス・コード》が、自らを蝕んでいく。
このままではいけない……そう思って、両耳を一気にひっぱたく。鼓膜が破り切れそうなぐらい。三半規管に響く符号が一気に転調する。完璧だ。マイナーコードはメジャーコードとなり、旋律/戦慄となって鳴り響く。
全ては、その指揮を完成させるために。
さぁ始めよう──タイトルは、〝葬送曲〟。
1.
「姉貴……ひとつ聞きたいんだが」
「あ? 何か不満でも?」
不満というわけじゃないんだが……強いてあげるなら、何故俺がここにいるのか説明を要する……といったところだろうか。区内でも一際大きな……公会堂、という言葉が似つかわしいだろうか、鹿鳴館とか教科書でみたことのあるような趣のある建物が眼前に大きくそびえ立っている。例えるなら、それは文明開化の時代からそのままタイムスリップしてきたかのような錯覚だとも言える。
「何で俺を連れてきた?」
「しゃーねーじゃん。先輩の演奏会だってもん、人は多ければ多いほどいいんだ」
……要はサクラか。だったら自分の旦那を連れてくればいいのに、何で俺なんだ……そういう疑問を払拭するが為に、俺は姉貴──氷室美加《ひむろ・みか》を見つめる。姉貴は姉貴で何故か浮き足だったように滅多に見せたことのないドレスを着飾って、今か今かと開演の準備を待ち望んでいる。どこから見つけてきたか分からない、真紅のレースが宙に舞い、年齢に比べてちょっと無理しすぎ何じゃないか、と思わせるようなコーディネートをこの人は今日のためだけにしてきた。……もっとも、だったらそれこそ真二《しんじ》兄と来ればよかったのに、と改めて思う。
「多ければ多いほどいいなら、何で自分の旦那をほったらかしなんだよ」
「ほったらかしじゃないの、ほったらかされたの!……あんなに一週間前から予定空けといてっつったのに、何でまた今日の今日になって残業なんかぶつぶつ」
眉間の皺が川の字になって一気に周囲の空気を凍り付かせつつある。目の前をどこかのご婦人が「あらやーねぇ」と言いながら通り過ぎていくのも気付かず、姉貴はここにいない人間に対する不満を顕わにする。
「まーまー分かったから、そんなに無茶しないでさー」
「そーですよ美加さん、あまり起こると身体に毒ですよー」
俺の隣にいる鈍色のカチューシャを付けた少女が、いつも通りのにこやかな笑顔で姉貴に話しかけてきた。
「でだ。何でアリスちゃんがここに居るの?」……あのう、人は多ければ多いほどって言ったのはアナタで、それとは微妙に矛盾しているような気がするんですがどうなんでしょうか。
「あ、私もおじさんにほったらかされたクチなので……」
芹沢アリス《せりざわ・ありす》の言う〝おじさん〟──若林豊久《わかばやし・とよひさ》の仕事はそんなに楽ではない。警視庁捜査一課ともなると首都警察の花形とも言える部署で、そこに配属されるためには生半可な努力では太刀打ち出来ないとはもっぱらの噂。当然仕事は激務としか言いようがなく、ましてや常にサボり癖が付いていそうなあの男のことだから、今頃仕事でカンヅメになっているに違いない、と思う。ああ、何か遠くでくしゃみが聞こえた気がするが気にしない。
「で、だ。姉貴の先輩って誰よ」
「んーと……確か佐和《さわ》さんの楽屋は……あっちか」
俺は足元に引きずられる赤い布を見ながら、姉貴の後ろを追いかける。焦茶色と肌色の二色で横断歩道のように塗り分けられているカーペットをひたすらと歩き、楽屋の裏にやってきた。開催前だからか、せわしなく歩くスタッフの姿がちらほらと見られる。大道具、小道具その他諸々。
「さて、ここだここだ」姉貴はそう呟くと。コンコンと扉を叩く。
「はいどなたー」
「あ、あたしですー麻生美加」
姉貴は自分の旧姓を答える。扉にかかっている名札を見ると、『北都フィルハーモニー交響楽団ご一行様・女性控室』なんて書いてある。……待て、俺がついてっちゃいけないところだろう、ここは。
「あー、麻生かお久しぶりー。中入って入って」
失礼しまーす、とばかりに姉貴とアリスちゃんは入っていく。俺はさすがに男子禁制の花園に堂々と潜り込む勇気はないので、外でゆっくりとジュースをすすることにする。今来た道を反対側へと歩き、豪華ホテルのロビーを更に広くしたような大広間に辿り着く。とりあえず辺りを見回し、コカコーラを発見。その隣に、他の飲料メーカーの寄せ集め自販機が目に付いた。
俺は三段目の左から四つ目あたりにあった『ばか飲みプリンセーキ』を購入し、缶の指示通りに五回ほど上下に振っていると、何やらショートカットの少女がじっとこちらを見つめている。若干目つきは悪いが、健康的な顔立ちと体つき。スポーツをやっていることが見て取れる引き締まった体型。髪をざっくりと切り、首から上だけ見れば男の子とも見間違うほどの少女がこちらを見て……段々近づいてきた。
「もしかして……津嶋……勇喜、さん?」
「いや、はい、津嶋勇喜ですが……あのー、確かどこかで」
うん、確かに会ったことがある、が。すまん、思い出せない……誰だっけ?
「私です、山科亜希《やましな・あき》です──以前どこかでお会いしたことはありませんでしたでしょうか?」
……んーと、同級生にそんな名前の人もいたような。
「ほら、津嶋さん、アレですよ。陸上部の事件」
「あーあー、あの病院でお会いしたかも……ってあれ? アリスちゃん?」
「勝手に行くから探してしまいましたよ。お久しぶりです」
そういうと、アリスちゃんはきれいな角度三十度の会釈をする。亜希ちゃんは思わず釣られたかのように、ちょっと深めの挨拶をして返す。
「そういえば」足、大丈夫なの?……と聞こうとして俺は躊躇した。そのことを蒸し返すのは彼女のトラウマを呼び起こさないとも限らない。自分の未来を絶たれ、二人の友人を失ったあの事件を、彼女はどのように思っているのだろうか。
「あ、私の身体のことならご心配なさらず。足もこの通り、リハビリは大変でしたけれど普通に歩ける程度には回復しましたし。もう少しのんびりやろうか、と考え直しました……大学受験もありますし、すぐに本格復帰、というわけにはいきませんけれど」
強いんだな、というフレーズが思わず口をついて出た。あれから一年弱、亜希ちゃんは簡単に言うけれど、ここまで回復するのには並大抵の努力では戻ってこられないだろう、良い意味での執念、としかいいようがない。
そうかよかったな、と思う反面、一つの疑問が沸いて出る。
「で、何で君がここにいるの?」
正直縁がないと思うんだけど。
「あ、クラシック聞かないとか思ってるんでしょ」図星。「ちゃんと理由があってね……あ、お姉ちゃんだ」
亜希ちゃんが後ろを振り返ると、うちの姉貴と、もう一人同年齢ぐらいの髪を肩の辺りまで伸ばしたの美人がやってくる。何となく、顔立ちが亜希ちゃんによく似ている。お姉ちゃんと言うくらいだから姉妹なのだろう。
「で、何で姉貴がそこにいるの?」
「いや、だから、今日誘ってきた先輩」
……段々頭が痛くなってきた。
2.
「はじめまして、亜希の姉で山科佐和《やましな・さわ》と申します」
物腰の落ち着いた上品なしゃべり方で、短髪のその女性は俺の前で一礼をする。佐和さんが姉貴の先輩で、亜希ちゃんが俺より年下と言うことは、二人の間は八から九歳ぐらいは離れていることになる。姉貴の紅と対比するかのように、純白のドレスを身に纏った彼女は、年齢よりも更に大人びた印象を与えていた。
「あ、この人はあたしの弟で」
「亜希から話を聞いています。その節はお世話になりました」
その節は……って一年前のことを話題に出されても照れてしまうばかりで、どうもこちらとしてはばつが悪い。
「あんたー何やったのーやることやってんじゃんー」
「やってねーよ。ほら、去年俺が打ち身で入院したことあったっしょ? あん時同じ病院に入院してたんだよ、亜希ちゃんが」
「え、そーなんですか?」
素でびっくりする姉貴。多分あの時は気付いていなかったのかも知れないが。普通先輩の妹にまで目を配らないからな、幼なじみでもない限り。とりあえず、あまり深入りするととんでもないことまで聞き出しそうなので、小声で「ちょっと色々事情があってさ、あまり詮索しない方がいーよ」と少し真面目な顔でささやいた。
「ま、後で教えろよ」と返答して、姉貴は話を続ける。「気を取り直して、いや、本当に佐和先輩から招待状が届くなんて思いもしませんでしたよ。あの佐和先輩から」
「ちょっと麻生、何が言いたいのよー……って、今は麻生じゃないのか」
「まぁ昔色々あってね」ごにょごにょ。姉貴は何故かばつが悪そうに言葉を濁す。
「ちょっと山科さん! もう準備はできたの!?」
遠くから甲高い声が聞こえて、その方を向くとソバージュのかかった髪を頭の上で少しまとめ、残りを胸のあたりまで一気に下ろした女性が、マスカラまみれのきつい眼光でこちらを睨みつけていた。
「ご、ごめんなさい松田さん! もうすぐ……」
「開演までもう時間がないのよ? 世間話をしている暇は……」そう言いかけてチラリと俺たちの方を見やると、若干はにかんだような笑顔を見せて軽く礼をする。釣られて俺たちも会釈をするが、顔をこちらがあげ終わらないうちに「すぐにね!」と怒鳴ってさっさと楽屋裏へと戻っていった。
「じゃあごめんね麻生! 終わったら旨いパスタでも食べにいこ!」
了解ッすー、と姉貴は片手をあげて、ぱたぱたと楽屋裏に駆け込んでいく佐和さんを見送った。
「何か忙しそうですねぇ」アリスちゃんがきょとんとして(正確にはいつもの笑顔のまま)感想を漏らす。
「そりゃ忙しいでしょ、何せ『北都フィルハーモニー』ってくらいだから。確か有名な所なんでしょ? この楽団って」
そーだねー、と俺の問いかけに姉貴は呟く。手元には佐和さんから貰ったと思しき公演のパンフレットがある。〝あの北都フィルハーモニーの凱旋公演! 北都フィルを支え続けた最高のスタッフにより、極上のショーを演出します〟という見出しが踊り、指揮者:伊藤敏久、舞台監督:篠沢元治、演出:小出洋太郎……と演奏者のみならず、スタッフにまでしっかりと略歴が記載されている。よほど気合の入った公演なのだろう。実際テレビで見たCMでも非常にお買い得とは言えないお値段になっていたことを覚えている。……そんな公演にロハで入っていいのかよ、俺ら。
何ページかぺらぺらとめくっているうちに、さっきのソバージュの女性の顔が目に入った。どことなく一生懸命作り笑いをしています、とでも言いたげなその笑顔が却って痛々しい。名前は松田千夏《まつだ・ちなつ》。一九七三年生まれだから……まだ三十前か。三十前にしてはよっぽどの貫禄だな、と思っていたら〝北都フィルが送る究極の四重奏《カルテット》〟と書いてあった。なるほど、あの若さで楽団のトップ的立ち位置なら、あの威張り方も分からなくはない。
「究極のカルテットだってさー……つか、何のカルテットだろ」
「姉貴、ちゃんとココ見ろよココ、チェロ四重奏だって。しかも指揮者無し」
へー、そうなんだ、とのぞき見る。四重奏という割には松田の扱いがかなり大きい。残りの三人の写真と名前もその下に並べてあった。
甲本悠人《こうもと・ゆうと》。ぱっと見スポーツマンかと間違えるような黒々とした顔つき。少し上げた口元の端からこれまた白い歯をチラリとのぞかせている。
大江昭《おおえ・あきら》。こちらは静観とは決して言えない、若干面長だった顔つきで、真面目な視線をこちらに投げかけてくる。おそらく同年代だと思うが、妙に老けて見えるのはご愛敬か。
鏡美弥《かがみ・みや》。こちらは逆に幼く見える……といっても俺と同い年ぐらいじゃないか、と思えるぐらいの女性。多分それはやや丸みを帯びた顔と低い鼻によるものだろう。いわゆるぽっちゃり、という奴かも。
究極の──と称するぐらいだから、四人ともそれなりに演奏技術はあるのだろう。期待して問題ないとは思う。……まぁ、俺ごときに問題ないとか言われても嬉しくないだろうが。ただ、その中でも突出して上手いのか、あるいは他の理由なのか、松田がやたら優遇されているのは俺にも分かる。同時に松田以外の除け者にされている(ように見える)三名がどうも哀れに感じた。
演奏会は静かに始まった。さすがにタダでチケットを貰った以上、席については文句はない……とはいえ、三階席ってあまりにも遠すぎやしないですかキャプテン。自分の席など直前まで把握していなかったものだから、スコープとかそういった類のものは全く持ってきていないのだが。どっちにしろ最初から覗く気はなかったけど。
中盤にさしかかった頃、クラリネット奏者の一部入れ替えがあった。
「ほら、アレ。佐和先輩」
姉貴が小声で、指を指しながら俺とアリスちゃんに語りかけるが、あまりにも遠すぎて誰か分からない。先程顔を合わせていたのでだいたいどの人か、は分かるけれど。
バッハのメヌエットの調べに乗せ、クラリネットはもちろん、他のパートとも親和性がある。心地よく、静かに流れる音楽。思わず寝てしまいそうになる。
しかし、それらが行われるのはほとんどが最初の場合のみ。今後の展開が楽しみだ、と思っているうちに……例の四重奏の出番がやってきた。
3.
舞台が少しだけ暗くなり、がやがやと演奏者が動き出す。遠くからホールの舞台を見ていると、本当にそれは暗闇の中でぱたぱたと動いているような心持ち。観衆のざわめき声が聞こえるが、それとはお構いなしにせわしなく人が動いている。
「いやぁ、音楽って素晴らしいものですねぇ」
アリスちゃんが感心したかのように不意に漏らす。あんたは水野晴郎か……とも突っ込もうとしたが、多分そんなネタは知らないだろうし、そもそも素人の俺の耳にも心地よい演奏であったことは確かだ。
「凄いトコに入ったもんだね……姉貴の先輩」
「そうだねー、あたしが言うのもなんだけど、あのおおらかな性格だからか、特に気兼ねなくつきあえたかな、って気がする。高校の時かな、あたしは帰宅部だったけど、玄関先でずっと練習してたのを覚えてる。そんな中いきなり『あら帰るの?』なんて声かけられてみ? 全く、あの時はよっぽど肝の据わった人なんだな、って思ったよ」
「それに関しては全く同感……努力の人なんだね」
「うん、聞き捨てならない言葉が一瞬耳に入ったが、まぁ良しとしよう」
そうこうしているうちに、司会のお姉さんが舞台袖に立ち、スポットライトを浴びる。
「では、ここで我が北都フィルの誇る、究極のチェリストたちにご登場いただきましょう。──曲はパッヘルベルの『カノン』、チェロ四重奏アレンジです」
言い終わると同時に拍手が一気に噴水のように湧き出し、舞台は明るさを取り戻す。
「ああ、さっきの……」
舞台の中央に座った四人。楽譜台を前にして大きな弦楽器を抱えた男女四人の顔は、確かに先程パンフレットの写真に載っていたあの四人だ。誰もいない指揮台を中心に、半円形状に四人がずらっと並んでいる。向かって左から、甲本悠人、鏡美弥、松田千夏、大江昭。女性二人を男性二人が挟んでいるような格好だ。
拍手が鳴りやみ、お互いが静かに目配せをする。そして一斉に弓を弦に当て、大きく動かすと懐かしい、そしてどこかで聞いたことのあるような懐かしい響きが漏れる。卒業式の証書授与とか、結婚式の入場とか、旅立ちの意味合いで要所要所に使われるあの曲。テンポよい、それでいて穏やかな音色が心を落ち着かせる。
ここまで来ると〝呆然〟という感情しか浮かんでこない。……開いた口がふさがらないまま。六分程度の長い曲が鳴りやみ、最後の一音が響き終わると、観客から一斉に拍手が巻き起こった。
「パッヘルベルの『カノン』、お聞きいただきました。ここで演奏者の紹介をしたいと思います……」
再度司会のお姉さんが舞台の上に立つと、四人の紹介を次々とし始める。名前を呼ばれるたびに一礼をする演者たち。その中でも、あのソバージュの女性──松田千夏は、その高貴な雰囲気からか他の演奏者とはやはり一人だけ違うオーラを醸し出していた。やはりこの人は違うんだ、と場の空気が伝えてくる。
「ところで、チェロってあんな大きかったんだっけ? バイオリンのちょっと大きいぐらいのを想像してたんだけど」
「ほら姉貴、昔、宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』ってあったじゃん。あの絵本とかアニメとか見たこと無い?」
「あんたみたいなオタクじゃないんだから見たことあるわけないじゃーん」
なにおう、フランダースの犬程度でオタク呼ばわりされたら日本全国のオタクに申し訳が立たないじゃないか。
「ですが、『チェロ』は元々イタリア語で『小さな』という意味なんですよ」
「え、そうなの?」アリスちゃんの発言に姉貴がきょとんとする。
「正式名称は『ヴィオローネチェロ』と言いまして、『小さなヴィオローネ』──ヴィオローネ、とは今のコントラバスの元になった楽器ですが──それを略して『チェロ』と呼ばれるようになりました。ちなみに『ヴィオローネチェロ』という言い方の方が推奨されているようですが──」
「いいから、解説は後々。次の曲が始まるよ」
こうやって止めておかないと、今度は曲の解説の方が聞こえなくなりそうだ。
……言葉も出ない。
やはりプロの演奏は違うんだな、と俺は改めて認識する。ただ、どことなく違和感があった。一曲に一度だけ混じる不協和音。それまで流れていた曲が、その一瞬だけ違う顔を見せる。ただし、それは曲の裏テーマとかそんなではなく、何か別の、得体の知れないものであるかのような。
「では、このコーナー最後になります。最後も非常に有名なオペラの曲ですので、ご存じの方も多いことでしょう。華やかな装飾の中に、音楽の持つ鋭さを味わっていただければ幸いです……聞いていただきましょう、モーツアルト作曲、『魔笛』より──『夜の女王のアリア:復讐の炎は地獄のように我が心に燃え』」
一瞬背筋がぞくっとした。数曲を立て続けに聴いて至福の時間を味わっていたところに、突然耳に『復讐』なんて単語が耳に入ってきたからだ。
曲は少しだけ緩やかに始まったかとも思ったが、段々と響きが強くなってくる。確かなんかで……江戸川乱歩ものの映画かテレビのスペシャルじゃなかったかな、その中で聞いたことがある作品だ。見たのは確か中学か高校の頃ぐらいで、「ホホホホホホホホホー」の部分がやたら印象深かったのを覚えている。大学でも西洋文化史だったかでオペラのDVDを見せられた時に、そのゾクゾクとした、戦慄の中にも恍惚とした登場人物の表情が脳裏をよぎったのを覚えている。
今回演奏しているのはそれのチェロ四重奏アレンジである。管楽器はないので、チェロ特有の重低音が一気に鼓膜にのしかかる。
二回目の「ホホホホホホホホホー」の時に異変は起きた。妙に客席が騒がしい。ざわざわと、心配そうな呟きが集大成となって、音楽をかき消そうとする。それと呼応するかのようにチェロの響きには明らかにおかしい和音が混じるようになっていた。
舞台を見ると、一人の身体がおかしな方向に揺れている。前に、後ろに、左に、右に。両脇の二人も少しずつ揺れてはいるが、彼女ほどではない。誰もが松田千夏の異変に気付いていた。前後に大きくグラインドし、そして、腕から弓がこぼれ、演奏がついに止まる。
「ちょっと待った──……」
そう呟いた瞬間、松田の身体が前に倒れた。
──ダンッ。
……問題編2へ演算継続中……。