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10 /問題編1 → http://qed-jp.com/log/200811/022141.php
EquaL 迷宮の国のアリス 特別編
「セロの焦点」
踝 祐吾
耳鳴りがした。
自分の中に流れる不協和音《ディス・コード》が、自らを蝕んでいく。
このままではいけない……そう思って、両耳を一気にひっぱたく。鼓膜が破り切れそうなぐらい。三半規管に響く符号が一気に転調する。完璧だ。マイナーコードはメジャーコードとなり、旋律/戦慄となって鳴り響く。
全ては、その指揮を完成させるために。
さぁ始めよう──タイトルは、〝葬送曲〟。
EquaL 特別編「土蔵・真暗《ドグラ・マグラ》」
踝 祐吾
1.
「では皆さん、少し休憩にしましょうか」
ハンチング帽を被った白髪の男性が手元にある資料の束から目を離し、真っ直ぐに視線を投げかけている。俺は汗だくの軍手を脱ぎ捨て、束の間の安堵タイムに入った。秋とは言え暑さが残る十月。厚ぼったい面の手袋から解放された俺の両手は、まるで水中にどっぷりと浸かり続けていたかのようにふやけまくっている。
楽じゃないねぇ、と口の中で反芻する。一週間前まではまさかこのような炎天下での作業を丸一日続けることになるとは思わなかった。段々と意識がもうろうとしてくる。かねがね今年の夏は暑いと思っていたが……ここまで続くとは思いもよらず。
「お前これでいいんだっけ?」
その言葉と共に、数メートル先からマックスコーヒーが飛び込んでくる。
「あ、サンキュー悪いねー」黄色い缶を絶妙なプレーで受け取ると、俺は即座にプルトップを開け、一気に飲み干した。糖分が脳の隅々に行き渡り、それまでの粘りきったような感触が少しずつ晴れやかになっていく。
「津嶋《つしま》ってさー、よくこんなの飲めるよな。練乳だぜ練乳?」
「いいじゃねーかよ好きなんだから」友人の言葉には聞く耳持たずが原則。そのセリフにはもう耐性ができております。
俺は近くの石に腰を下ろし、空を見上げる。大学のゼミの体験学習──フィールドワークといっても実際やらされているのは土蔵の整理。気楽な考えのもと参加したはいいが、土蔵の中にいるのは教授とか一部の人間だけで、俺たちは天日干しの手伝いばかり。つまりはずっと晴天の下……なんとかならないかなぁ、と改めて思う。
何で今年の夏はこんなに暑いんだ……と考えながら辺りを見回すと、大学のゼミという所には場違いであるかのように、コップから何かを飲み干している小学生の女の子がいた。
「アリスちゃん、一体何飲んでるの……」
「え、カプサイシンドリンクですけれど……飲みます?」
芹沢《せりざわ》アリスは手元のバスケットからもう一つカップを取り出すと、水筒に入っていた何やら赤い液体をなみなみと注ぎ入れる。
「待て」嫌な予感がした。「これ何入れた」
「ええと、唐辛子と豆板醤をアルカリイオン水で煮込み、ついでに杜仲茶を少々加え……」
……飲めるかぁっ!
……時を一週間ほど巻き戻すことにする。
「おまい、ゼミ考えたか?」
ぺしぺし、とリズミカルな頭蓋骨の音に反応して、俺は思わず目を開けた。講義室の机の上の感触は、木材でありながら家のぬくもりとも違う、無機質な味わいに満ちあふれている。とはいえ、体温である程度暖まりきったそれを引きはがすことは俺には出来なかった。
「考えてない」
「起きやがれコンチクショウ」
髪の毛が一気に引っ張り上げられ、痛みにより眠気は一気に吹き飛んだ。
「ンな事言われたってさー、まだ二年だぜ? ゼミなんて卒業論文の時に考えればいいんだ」
「何まだ寝言言ってんだよ。掲示板みろって、ゼミの第一希望〆切今日なんだぜ?」
「……まじすか」
その小太りの、茶色がかった毛を短く揺らした俺の同級生──吉村和孝《よしむらかずたか》は、大きく首を上下に揺らして肯定の意を示している。どうやら本当に本当らしい。
「お前は決めたの?」
「まー何とか。結構悩んだけどなー」
「悩んだってどこさ」
「日本史学教室。一ヶ月に一辺ぐらいフィールドワークとか言って古文書あさりの旅に出るんだ、って先輩が言ってたから気になって」
「へー……フィールドワーク、か」面白そうだけど何をするのかさっぱり分からない。
「フィールドワークっつうのはな、あれだ、机の上だけでは面白くないから外に出て色々調べてみよう、とかそういうヤツ」
「でも日本史にさ、調べ学習ってあんの? もっぱら古文書とかじゃないの?」
「だから古文書あさりの旅って言っただろーが。日本史学の筒井《つつい》教授はな、民俗学も囓っていて各地の郷土史学においては一定の権威を誇っているとか何とか」
……んー、まぁそうだけど。確かに一般教養の授業で筒井芳正《つついよしまさ》教授の授業は聞いたことがあるし、結構好きなんだけど……それがどうしたって。
「津嶋、お前決まってないんだったら来週体験ゼミがあるんだってよ、参加すればいいじゃん」
「まぁ、参加することでメリットがあるなら行こうとは思うけれどさ」
俺はとりあえずの返事を投げかける。投げかけるだけで、実際俺にとっては興味も全くない分野だ。でも一応は文学部の身の上。ある程度史学の素養は付けておいていいかも知れない。
「でも体験ゼミってどこに行くんだよ」
「んーとだな、筒井教授の家の近くに、何でも江戸時代から続くらしい屋敷があるんだそうな。そこの土蔵整理をするうちに、何か歴史的な史料が見つかるかも知れない、ってんで色々探りに行くんだとさ」
「探りー? なんかめんどくさそー」
「実際面倒だとは思うけどねー、まぁ申し込んであるから」
「確かになー。貴重な休みぐらいバイトに精を出したいし…………は?」今なんて言った? 申し込んである?
「だから、お前のことだからゼミ決めてないんだろーなー、と思ってさ。もし決まってたんだったらドタキャンすりゃいいし」
ちょっと待て、そんな勝手なこと認めるわけに行くか。詐欺だ横暴だ!……とは考えたが、確かにゼミが決まっていないのは事実だし、〆切も近づいていることも否定出来ない。いい加減俺は腹をくくることにした。
「じゃ、よろしく!」お前絶対生贄を捧げようとしてるだろ。天にまします我らが神よ。
……で、だ。
「アリスちゃん、何で君がここにいる?」
「はい?」彼女はにこやかに首をかしげるばかり。
……もう勘弁してください僕泣きたくなってきました。
【咎裁き編】
15.
……平成十八年五月五日 午前七時三十五分
さすがに、二日連続で悲鳴が目覚ましと言うことはないだろう……俺は静かに目を覚ます。ただし、決して寝覚めは良くない。昨日だけで相当の精神力を消費し、俺の感情は少しずつ限界に近づきつつあった。思考が完全に疲弊している。やばい。
光が少しずつ目に入る。二十四時間ぐらい眠りこけていたんじゃないか、というぐらい頭脳が疲れ果てていた。しかし、いつまでも寝言ばかりいっていられない。
十五年前に七人の目の前から消えた少女が、今回の事件の影を構成している。トリックについては皆目見当が付かないが、考えられるとすれば、彼女の死が今回の事件に何らかの影響を及ぼしていることは間違いないだろう。
あとは昨日判断したとおり。まずは身体を起こさねばならない。何より、三枝にも話を聞かなきゃいけないのだ。芹沢春香という人物について。
そう思い、無理矢理身体を起こす。
*
……平成十八年五月五日 午前八時二分
そして俺は……昨日の判断が完全に誤っていたことを激しく後悔した。
【罪崩し編】
9.
……平成十八年五月四日 午前二時三十分
眠れなかった。
自分の中でわさわさとわいてくる感情に、俺は吐き気すら覚える。巻き付ける不安。巻き起こる不安。自分の中の何かが訴えてくる。このままでは終わらない、と。
死者からの手紙。目の前に落ちてきた花瓶。そして──消えた女。
一瞬、目の錯覚のように思ったが、違った。そもそも同時に、何人もの人間が同じ幻覚を見るだろうか。催眠術でも、何でもないのに。否。それはあり得ない。見たのが俺一人ならそれは幻覚だろう。しかし、見たのが五、六人同時、となったら話は別だ。ましてやそれが初対面同士の人間ならばなおさら。
しかし、しかしだ。錯覚でないというなら、アレは何だったのだろう。事実、庄野早希は屋敷から忽然と姿を消していた。全ての騒ぎが終わってから出てきた樋下を含めて、全員が広い屋敷の中を歩き回り、しかし、見つけることが出来なかった。確かに消えたのだ──人が、ひとり。
三枝が「いたずらだろ? あいつ昔からそういうの好きだったから」と主張し、渚が同意する。「僕も結構いろいろやられたもんね」まぁ、何があったのかはこの場では詮索しないでおくが。いたずらだとすれば、庄野は自ら姿を消した、と言うことになる。
しかし、いたずらにしては決定的な矛盾があった。庄野が吊られていた桜の回りにはひなげしの花が文字通り隙間なく咲き誇っている。そして、花畑は俺たちが畑に立ち入るまで、なぎ倒されたあとは全く存在しなかった。もし、誰かがこの花畑に立ち入ってたら、何らかの獣道らしき跡が残るはずである。だがそれは存在しなかった。即ちそれは──例え首吊りそのものが偽装自殺だったとしても、そもそも庄野自身が、樹木の位置までたどり着けないことを意味していた。
いたずらだとすれば、どうやって庄野はあの場所に現れ、そして一瞬で消えたのか? 首吊りを準備するだけでも多大な努力が必要だ。ましてや、足跡を残さずあの場所に入り込むなんて。
「不可能……なのか?」
不可能犯罪、なんて言葉があるが、それはあくまでも常識的方法では考えられないことが起こる犯罪なのであって、本当に不可能だったらそもそも犯罪が起こるわけがない。しかし、現実に俺たちの目の前でそれは起こっている。
いたずらなら、目的は? もしかして、全員に招待状を送りつけたのも庄野なのか?……そう考えて、庄野の言葉を思い出した。
『でも、まさか刑事が二人も現れるなんて、犯人も予想してなかったでしょ』
庄野が犯人と考えるには、少し違和感のあるセリフだった。もし、庄野が本人言うところの犯人──差出人自身だったら、自分のことを『犯人』だなんて悪意ある呼び方で指摘するだろうか? 何となく俺にはそう思えなかった。
若林刑事が大いびきをかく横で、思考実験が繰り返される。庄野が犯人じゃないとしたら、誰が、何の為に行ったのか?
段々と意識が朦朧としてくる。雲は晴れ、月明かりが俺の部屋に差し込む。今回の為に新調したのだろうか、若干糊の匂いがする羽毛布団の柔らかさが、次第に俺を眠りへと誘う。
不意に外を見た。
「なんだ……あれ」
人魂のような光が、俺の視界を横切っていく。正確には、窓に一瞬だけ、すっと動く光が見えた。
本当に人魂なのだろうか……そう思いながら、俺は静かに瞼を閉じた。
【 EquaL // PhantoM 】
ヒナゲシ(雛罌粟、ひなげし、学名 Papaver rhoeas)は、ケシ科の一年草であり、虞美人草、ポピーとも言う。
秦末の武将・項羽には虞と言う愛人がいた。項羽が劉邦に敗れて垓下に追い詰められた時に、死を覚悟した項羽が詠った垓下の歌に合わせて舞った後、自刃した。彼女を葬った墓に翌夏赤くこの花が咲いたと言う伝説から、こう呼ばれる。(後略)
──Wikipedia解説より
どうせ引き裂かれるなら、
身を引き裂かされる方がはるかにマシだと思った。
──竜騎士07
『ひぐらしのなく頃に』より
【序幕】
……平成三年四月七日
真っ赤に、咲いていた。
「『天国と地獄』だ」
誰かが呟いた。そうかも知れない。色の判別も出来ないくらい深い霧の中で、パトカーのランプが赤く、パートカラーのように輝いている。その違和感が、余計にこの場を幻想的な雰囲気に満たしていた。
天国と地獄。それは黒澤明の映画タイトルではあるが、同時にこの光景を示すのに最も適した言葉でもあった。
幻想的な霧の中に浮かぶ死体。
一本のナイロンロープが、彼女の死体をつり下げる。
死がいかに幻想的で、現実的であるかを物語るその光景は、足元に真っ赤に咲いたひなげしの花をたたえて、この世のものとは思えない生々しさを醸し出していた。
ここにはまだ、生きているのは警察の人間しかいない。
不思議なモノだな、と赤羽刑事はまるで呪文のように唱えた。
この光景を信じることが、どうして出来よう。幻想に彩られた、この世とは思えない姿。酔いつぶれて、押しつぶされてしまいそうな重厚とした雰囲気に、誰もその場を動けないでいる。
それはまるで一枚の切り取った絵のように。その肢体は風に流されるまま、ギシギシと揺れ動いていた。
血の臭いは一切しないのに、錆び付いた臭いが鼻の辺りをつんと刺す。
虫の鳴き声は聞こえないのに、虫の知らせが胸を突く。
喜びの歌を、もう一度聞きたかった。
優しい香りを、もう一度感じたかった。
キスの味を、もう一度味わいたかった。
……君の笑顔を、もう一度見たかった。
サヨナラの声は聞こえない。
あの笑いは、もう見られない。
ならば……僕はどうすればいい?
何かしたい。
何も出来ない。
花束すら供えられない……哀しい人間(ひと)。
僕はあのとき、君に殉じるべきだった。
それなのに、何も出来なかった。
悔しさだけが、胸にこみ上げる。
それならば、今何が出来る?
そう考えながら……十五年経ってしまった。
※
……平成十八年五月三日
世間一般的には、今日は休日に指定されているらしい。五月三日、憲法記念日、国民の祝日。ゴールデンウイーク。しかし、この村にはそんな休みのさなか、どこかへ出かけようと言う人はいない。むしろその逆で、この村には少なくない観光客がやってくる。
彼らの目当ては、この野原一面に咲いたひなげしの花。虞美人草とも呼ばれ、五月頃に色とりどりの花をつける。花言葉は……「慰め」。
僕はその中をかき分け、野原の傍らにたたずむ大きな屋敷に入った。
数年前に建てられたばかりのその家は、人が住んでいるにもかかわらず、生活感を一切感じさせない作りになっていた。
僕は勢いをつけて、ドアを開く。鍵はかかっていない。
優しかったあの姿を、再び……再び、求めていた。
※
全ての物語には終わりがある。
しかし、時間は永遠だ。
物語は終わっても、彼らの世界は終わらない。
──それならば、もう少し語ってみてもいいのではないだろうか。
若林アリス。旧姓芹沢。
彼女が再び、真実の扉を開ける時が来た。
さぁ、演算を始めよう。
全ての問を、解に導くまで。
EquaL // PhantoM ひなげしのさく頃に
- Why They Cry....? -