二十円玉五十枚の謎。あ、違った。
Mystery of 50 Twenty Yen Gem
1.
立ち仕事で、僕の足はもうはち切れんばかりにふくらみ始めていた。夜のコンビニのバイト。時給の良さに釣られて(とはいえ決して高くはないが)やってみたものの、誰もいない店内をこうしてぼーっと待っているのは苦痛以外の何ものでもない。
冬のコンビニ。おでんが湯気を立て、静かに客を待ち続けている。来るかどうかも分からない深夜の利用客を。
「なぁ、こんな話知ってるか?」
不意に、先輩が声をかける。どうやら先輩も相当暇らしく、荷物整理が終わるとすぐさまレジの横にある控え室に引っ込み、入荷したばかりの漫画雑誌をむさぼり読んでいた。しかし、その格好を見ると、どうやら漫画にも飽きてしまったらしい。足をだらりと机の上に放りだし、店長がこの場に来たら怒鳴り散らされそうな体勢になっている。
「どうしたんですかいきなり」
「暇だしさ、たまには怪談でもしようと思って」
「止めてくださいよ、いきなり」
僕は露骨にイヤな顔をする。それを見ると、先輩はますますにやりと笑った。
「何、本当にちょっとした話だって。店長も今日は来ないし、客も来ないし、ヤスノリくんも暇だろ?」
一応僕の名前は『畑山保憲』というのだが、誰も僕の名前を正しく漢字で書くことはできない。現に僕がレシートを打つと、決まって『畠山安則』という漢字になって出てくる。それは勘弁してくれ。
「まぁ、暇、といえば」
とりあえず僕は先輩に調子を合わせることにした。
「お、乗ってきたね。じゃあ始めようか」
先輩はマイルドセブンを一本取りだし、ゆっくりとくわえた後(煙草はくわえるけれど火はつけない、というのが先輩の奇妙な主義である)、早速話を切りだしてきた。
「俺がここでバイトを初めてすぐのことなんだけどな。先輩が少し用事で抜けて、俺一人で店番をすることになったんだ。でも、そんなのはしょっちゅうだったわけさ。だが、ある夜の三時すぎだった」
僕の耳には、すでに店のCSラジオは入る余地もなかった。あたりが急に静まりかえる。それに呼応するように、先輩は煙草を箱に元通りにしまう。フィルタは静かにかみ砕かれ、もう使い物にならなくなっていた。
「ちょうどそこのドアだったな、すうっと扉を開けて、呼び出し音が鳴ったんだ。あわてて俺がここからレジに出ると、黒ずくめの男がそこに突っ立っていた」
「黒ずくめの……? 名探偵コナンじゃないんですから」
「イヤ、本当にそうとしか言えない格好だったぜ、あれは。何しろ全身を黒いフード付きのコートに包んで、真っ黒の……なんつったかな、つばの広い帽子だ。それに黒い手袋、サングラス、白いマスク。そんな男だった」
僕は呆然とした。慄然としたからではなく、先輩の言うことがどうも胡散臭くしか聞こえなかったからだ。
「そんな人間がいたんですか?」
「俺も最初は見間違いかと思ったよ。でもな、見れば見るほどそいつは真っ黒の服を少しも着崩さずに歩いているんだ……すうっとだ、すうっと。信じられるか?」
僕は暗に否定の表情を示した。
「だろうな。ふつうは信じられないよ。でも、俺は見ちまった。そいつは店内のものを物色した後、静かに俺の元に近づいてきた」
「それで?」
「そいつは支払いの時、必ずレジで千円きっかり払った。……ただし、全部五十円玉で」
2.
「……五十円玉?」
「そう、五十円玉二十枚。ぴったり千円だ」
「おつりはなかったんですか?」
「全くなかった。そいつは支払いを追えると、一礼をして立ち去っていったんだ」
「それで、終わりですか?」
「だといいんだが、そうじゃない。それからそいつは、必ずその出で立ちで、俺が店番をしているときに限って出没するようになった。その時の支払いも」
「五十円玉二十枚、おつりなし」
「ああ、その通り」
「……それで?」
「それだけ」
「…………」ちょっと呆れた。
「それって、怪談って言うんですか?」
「だけど、十分不思議だろ?」
「それは認めますけど……」
どうも、いろんな意味で納得がいかない。
「ヤスノリくん、俺と一緒のシフトにはいるのは今日が初めてだもんな。……実はな、今日がその黒ずくめが来る日なんだ」
「来る日って……決まってるんですか?」
「言ったろ? 俺がシフトの日に限ってやってくるって。ちょうど俺が先輩と組んでいたのが今日、水曜日だったんだよ」
「ってことは」
「来るかもしれんぜ、その黒ずくめが」
そこまで話し終わったところで、三十分ぶりに店内に客が入ってきた。……これはホラーではなく、推理小説なんじゃないだろうか。僕はぼーっとしてそんなことを考えながら、レジに立ち続ける。その若い女性客が買っていったものは缶ビール六本。出された千円札を見ると、どうやらショートカットの彼女がくだんの客、というわけではないらしい。
その客が帰ると、僕は再び先輩に話しかける。
「てことは、先輩以外誰もその客を見たことがないんですね」
「ということになるな」
「ほかの誰かにこの話はしました?」
「したよ。実際シフト交代の時にはいつも五十円玉がレジからあふれているんだから。理由を話さないわけにいかないだろ?」
「信じてくれる人はいましたか?」
そういうと、先輩は神妙な顔をして、僕の予想通りの方向に首を振った。
「でしょうね、そんなこと言われてもふつう信じられませんもの」
「じゃぁ、ヤスノリくんは信じるのか?」
「いいえ、全然」きっぱり。
「そりゃそうだよな」
「でも、興味はありますよ。少なくとも、その話には妙なことがいくつかあるんですから」
3.
時計は午前二時を回り、十分おきぐらいに来ていた客足も次第に少なくなっていった。深夜のコンビニ、住宅街。この時間になると店の前でたむろしていた若者たちもいつの間にか姿を消し、鳴り響くのはCSラジオだけ。
仕事場に缶詰になっているのだろうか、目の下に隈を作った男性がサラダを買っていく。それを見届けたかのように、店内を掃除していた先輩がこっちに語りかけてきた。
「ところで、さっき言っていた『妙なこと』ってなんだ?」
「簡単に言えば『謎』ですね。これは怪談って言うよりも、『まさかのミステリー』の世界ですよ」
「あの島田伸助司会のやつ?」
「そう、それです。僕は一回だけ見て止めちゃいましたけど」
「結構おもしろいと思うんだけどなぁ……」
「今の話の中に手がかりはいくつかありますよ。まず、一つ目。その人物は決まって黒ずくめをしている。二つ目、その人物は先輩のシフトの時――決まって水曜日にやってくる。それからもう一つ」
「必ず代金を五十円玉二十枚で払っていく」
「先輩、黙っていちゃいけませんよ。これがもしかしたら大事なことになるかもしれませんから」
「これ?」
「ええ、その人物が買った品物です」
「品物って、そんなの関係ないだろ?」
「いいえ。先輩はここでバイトを初めて何年になります?」
「そりゃ、二年ぐらいだな」
「それでは、その客以外にきっかり千円の品物を買われていった方はいらっしゃいますか?」
「言われてみれば……あまり覚えがないな」
「でしょう? この店に並んでいる品物は、どれも三九八円、九五円……と、どれも税込みでぴったり千円になるものはあまり置いていないんですよ食料品や日用品ならなおさらです」
「言われてみるまで気づかなかった」
「だとすると……」
僕は雑誌コーナーに立ち、価格を片っ端から調べはじめる。
「あ、あった」
その本には、『税抜九五二円』の文字が刻印されていた。
4.
「千円を出しておつりのでないもの……となると、消費税をのぞけば九五二円きっかりになるものしかないと思います」
「へぇ、感心するな」
先輩は完全に目を丸くして、こっちを見つめている。
「このコンビニにそういう品物はそう多くありません。ましてや、毎回千円となると同じものを買い続けるわけにもいきませんからね」
「でも、肝心の答えが出てこないじゃないか」
「そうなんですよねぇ……」
千円の謎は解けたが、肝心の『五十円玉二十枚の謎』は振り出しに戻ってしまった。
「なぜ五十円玉なのか。それがさっぱり」
そして、僕はじーっとレジの中にあった五十円玉を見つめる。わざわざ目立つ格好をして、目立つ行動をする、その理由はなんだろう?
「いわば買わなくてもいいものばかり……それを毎回買う……もしかするとそっちに意味はなくて、むしろ目立たなければいけない理由があった、としたら」
人間は何かとんでもないことに出くわすと、通常とは違うところ……特異点ばかりに目を向けてしまう。しかしながら、そういう不自然なところに目を向けて、肝心なことを見逃していないだろうか?
先輩は今度は怪訝な顔をして、こっちを見る。
「おまえ金田一少年みたいだぞ」
そして、時刻は午前三時を回った。
5.
奥の扉が静かに開き、『ピンポーン』という例ののんきな呼び出し音が鳴る。その音に釣られて店を見回し、客に声をかけた。
「いらっしゃ……」
そこで僕の言葉は止まってしまった。文字通り、そこにいたのは黒ずくめの男。やはり先輩の言っていたことは本当だったのだ。
それはそうと、先輩はいったいどこに行ったのだろう? さっきから姿が見えない。奥の倉庫にでも行ってしまったのだろうか? それとも、僕はそもそも先輩にだまされていたのだろうか?
「ちょうど千円になります」
仕方なくうーん、と首をひねっていると、その人物は僕の目の前に品物と千円札を差し出してきた。
黒ずくめの男が買っていったのはなんの変哲もない新書。具体的に言うなら『トリビアの泉』だ。そんなものは毎回買うものではない。
出されたお金は千円札、おつりは確かに〇円。
すると彼は一瞬こちらを向いて、
「あの、いつもの男の人は?」
と、女声で僕に話しかけてきた。
6.
「すみません、当店は顔を隠しての入店をお断りしておりますので……」
意を決して僕がそう話しかけると、やっとサングラスとマスクをはずし、彼女は恥ずかしそうにこっちを見た。その顔は先ほど、缶ビールを六本ほど買っていった女性に見える。
「今日は店番が僕だったから、五十円玉で払う必要がなかった、というわけですね」
彼女は顔を真っ赤にしていた。
「もしかして、だいたいご存じでした?」
「そうでなくても、予想はつきましたよ」
僕はにこやかに笑う。
「まぁ、たいした根拠はありませんけれど、先輩からあなたの話をお聞きしまして。残念ながら、先ほどからちょっと出かけているみたいですよ」
「それは残念でした……では失礼します」
「待ってください」
僕は彼女を呼び止めた。
「あなたはわざと先輩のいる日に、先輩の印象に残るような格好と行動をしたんです。だから、ほかの日には現れなかった。もちろん、先輩とチームを組んでいる方もいらっしゃるでしょうが、先輩は自分しか見たことがないと言います。だとすると、あなたは先輩に会いに来たと考える方が納得できます……そうですよね?」
無言でドアを開けかけたその女性のうなじに向かい、僕は呼びかける。
「それと。わざわざそんな格好にならなくても、真正面からぶつかっていいと思いますよ……ありがとうございました、またどうぞ」
7.
数週間がたち、先輩に彼女ができたと言う話を聞いた。写真を見せてもらうと、間違いない、僕が見たあの女性のようだった。
それから。あの夜以来、ぱったりあその怪人は店に現れなくなったらしい。何でだろうと不思議がっていたが、それを言うと二人にとっても都合が悪いので、「知らない方がいいこともあります」と濁しておいた。
ちなみにあのとき先輩はナニをしていたかというと、裏で食べていた残り弁当でお腹を壊したんだそうだ。とはいえ、それは食中毒ではなく単なる食べ過ぎと言うから、このコンビニは営業停止をくらわずに済んだわけだが。
冬のコンビニ。おでんの湯気と肉まんの温かさがレジをふわりと包む。カレーまん、ピザまん、あんまん。その香りは客を引きつけ、あたりを幸せにしていく。
住宅街の小さなコンビニ。そして僕のレシートは『畠山安則』のままだ。
【END】